なんのこっちゃ?というタイトル。
ビートルズの曲がです。
それは、どこで?
焼き鳥屋さんです。
8月21日と22日に京都のよしだめぐみちゃんが、
リコネクション・ルームにやってきてくれて、
コラボ・セッションをさせていただきました。
セッションを受けてくださった方、ありがとうございます。
こんなご感想も、いただいております。
http://heartnomaho.com/2010/09/blog/506.html
コラボ・セッション一日目が終った夜。
晩御飯、なに食べる?って話になって、
一発で意見が一致して肉と酒セレクション。
「んじゃ、ここと、あそこと、どこと、そこがあるけど、どれがいい?」
よしださんは「焼き鳥やさん」と即答。
来てくださるクライアントさんの中にも、たまに、
過去ブログまでずっと読んでくださっている方がいて、本当にありがたいんだけど、
このときよしださんは、すぐに私がさかのぼること4年前にブログで書いた
『焼き鳥とBeatles』に登場する焼き鳥やさんだと、
すぐにピンときたそう。
いまでも、そうなんだけど、何かしていて、脈絡なくどこかから
ビートルズが聞こえてくると、私の場合、だいだい「GOサイン=このまま行け!」なのです。
セッション・ルームから歩いて1分。
店の前に到着すると、
おかだ「そうだよ。ブログに出てくる焼き鳥や。でも、あれ以来ビートルズとかかからないけどね。」
よしだ(恐ろしく怪訝そうな顔。まるで、この人おかしいんちゃうか?といったような….)
おかだ「そういえば、あれから、相当の回数きてるけど、一回もなかったような」
よしだ「え、かかってるよ。」
おかだ「は?」
いや、それが、店の先、つまり外側にラジカセがあって、そこから、紛れもないビートルズの曲が流れています。延々とビートルズの曲のみ....
おかだ「あ、ああ、あああ、あれ?おかしいな?ラジカセなんて、ここになかったよ。おかしいな?」
ビートルズはGOサインなんだから、素直に喜ぶべきシチュエーションのはずなんだけど、
人間というのはマカ不思議なもので、現実が自分がこうだと思っていたものと違っていたら、それが
自分にとって喜ばしいことであっても、受け入れがたいものだったりするのです(笑)。
あわて気味に店の中にはいり、中の音楽を確かめるわたし。
オールディーズがかかってます。なぜか、ほっとして、力を取り戻し
「ねっ!ほらねっ!中は違うでしょ!」と自分の正しさをムキになって証明します。
いったい私は、何がしたいんでしょう(笑)。
自分が正しいのドラマを演じたいですね。かわいそうに(笑).....
そして、二人で中に入り、乾杯し、ひといきついたところで、
やっとビートルズ=GOサイン、つまり、わたしたちのコラボはGOってことで、
盛り上がり。
カウンター席だったので、肉を焼いているお兄さんに聞いてみたところ、
店の前のラジカセは、最近導入したそうです。
「ビートルズとかかけることあんまりないですよね?」
「ええ、あれは、”上”からの指示なんです」
「は?上から?ですか?」
普通「上からの指示」といえば、上司とイメージするかもしれませんが、
一日どっぷり瞑想しまくりの私たちにとっては、その言葉は「上=天」としか響かなかいに決まってます。
「おおおおおぉ、上からの指示かぁ」と、また、焼き鳥とビールを片手に盛り上がる、非常に世俗的なわたしたち。
いろんな意味で、そうとう気分よく一日を締めくくったのでした。
でも、振り返っても、このコラボがGOサインじゃなかったことなんてありませんでした。
瞑想会などにも参加してくれるリコネクション・ルームのクライアントさんが、
よしださんのセッションに興味を持ってくださって、
じゃあ、東京に呼びましょうということになり、トントン拍子でいろんなことが
決まっていきました。
私たちの意識が成長して、もっと波動があがった未来社会では、
人はテレパシーのようなことでコミュニケーションし、嘘がつけない社会になるってきいたことありませんか?そうした世界に以降しつつあるから、世界中でいろんな嘘があばかれているとか・・・・・
そんな感じに近いような、ものごとに決まり方。
当然、一応は言葉には出すけれど、その背景にある意図をすぐに理解できるから、
楽にものが決まっていきます。
案外せっかちやさん同士っていうのもあるけど(笑)
ぜんぜん関係ない文脈ではあったのですが、
ガイドの通訳で、友達の渡辺さつきちゃんが、私が昔こんなことを言っていたと話してくれました。
言った私は、すっかり忘れてた。
「ボディーボードで波乗りするときに、十分な大きさの波じゃないと、
波に乗ろうとしても、不発弾みたいに、ぜんぜん、すーっと進んでくれないから、
いい波がくるのをプカプカ海に浮きながら待つのがまた大切なんだよ。」
むやみやたらに、手とか足とかばたばたさせても(ボディーボードでは、
波に乗る瞬間に、手と足をばたばたさせて推進力をつけるのです)、疲れるだけだし、
小さい波で不発弾に終ったら、また、いいポイントまで、手を足を使って波にさからって沖のほうに進んでいけないのが、
また骨が折れるんです。私、以上に腕力が欠乏しているので、沖に出るのがすっごい大変なのよ。
波を待っているときって、プカプカ浮いているだけだし、
遠くのほうから続々と波はきても、どれもたいしてよさそうじゃなかったりして、
いったい全体、私のようなド素人には、いつ素敵な波が来るのかもわかりません。
本当に波はくるのかしら? 波がきたら、私にわかるかしら?と、心もとナッシング。
でも、そんな何も起きていないようなときでも、
すでに沖のほうや無数の波つらなりの中のエネルギーの世界では、
素敵な波がやってくるエネルギーが発生していて、
それは、海の水、海底の地形や、風やさまざまなものと
協力して、徐々に素敵な波の形を形成し、私のところにやってき始めているんだよね。
でも、私はまったたくそんなの、わかりません。
今回のコラボセッションを企画して、開催したプロセスは、
波の上でボードを滑らしているその瞬間って感じでした。 楽しかった!
でも、その波を静かに待っているときも、確実にあったわけです。
手ごたえがあんまりなくって、
本当にこの方向でいいんだろうか?とか、
もしかして自分は停滞しているんじゃないかしらって、疑問に思ったり、
静かに自分の待つ波がくるまで待っていようと思っているのに、
うっかりそうじゃない、波に流されちゃって、また、体制を整えなくちゃいけなかったり。
ありましたよ-。
でも、そんなときでも、私たちが待っている素敵な波のエネルギーはすでに、
すこしずつ私たちのほうに向かっているはず。
波に乗っている瞬間は、そのプロセスの最後の物質的(3次元的)な現れなわけで、
結果だから、ある意味、もう動きは収束していきます(その後、次の動きにつながってはいくけど)。
結果を生み出す原型というか、種というか、は、
私たちが「何にも起こっていないなぁ」とか、「静かだなぁ。地味だなぁ」って思っているときに、
エネルギーの世界で確実に始動して、激しく動いているんだと思います。
よく人生は、波乗りにたとえられますよね。
楽しく、すいすい、困難(大波)も乗り切るようなのって理想ですよね。
でも、一生懸命、手でこいで沖に出るのも、波乗りの一部。
いい波が来るのを静かに待っているのも、波乗りの一部。
波にのって、岸についたら、また、沖に出ないと、波に乗れません。
そのすべて波乗りなんだから、そのすべてが人生の一部。
そして、その全ての瞬間に、エネルギーの世界では、私たちの思ってもいないような、
動きをしていたりするのかも。
そんなことをますます信頼していきたいなぁ、なんて思いました。
そうそう、話はとんじゃったけど、
焼き鳥とBeatoles では子どものころ「革命家」になりたかった恥ずかしい話を
書いたのですが、11月になんと、本物の「元革命家」に会いに行きます。
革命の仕方を習ってきます。(←うそです(笑)。)
アメリカの方で、「元革命家」というのは本当だけれど、革命は起きていないから、失敗したみたいですしね(笑)
そうではなくて、本当は、「自己の本質をただ見る」というためのリトリートに参加してきます!
コラボ・セッションの最終日に初めて行ったーバーでも、ビートルズがかかっていたし、
ちょっと反則で『レボリューション』リクエストしちゃったけど、GOってことで、『上のみなさん』も
目に見えるみなさんも、よろしくお願いしますm(_ _)m