1月8日のみなさん、お誕生日おめでとうございます!
どうゆうわけか、1月8日に生まれた知り合いがとっても多いのです。
なので、この場を借りて、借りっていっても、私のブログだから、堂々と!
おめでとう!
さて、本題。
倒れました。わたし。おとといから今朝にかけて。
おとといは、電車の中で立ったまま眠りそうにはなったものの、
ちゃんと仕事もまっとうしたのですが(ほんとだよ(笑))、
その帰りの電車から、どうやって家に帰ってきてのか覚えていません。
高熱があるわけでもなし、おなかが痛いわけでもないし、軽いめまいとちょっとの鼻水だけなんだけど、体にまったく力がはいりませーん。
11時間も寝て(たぶん、自己記録)、それでも起きられなくて、ますますだるくて、
だんだん怖くなってきちゃったのです。というのも、12月の上旬に風邪をひいて、体調の悪さは1週間ぐらいで収まったものの、ちょっとした咳が延々と続き、1月2日にやっととまったと思ったら、
今度は意味不明のくらくら。しかも、完治したはずの足の湿疹が復活してくるではありませんか。
一体何が起きているのー?瞑想とか想念観察も集中できず、これはいよいよガイドに相談。
通訳の渡辺さつきさんを通して、相談してみると...
私の中でエネルギーが超激しく拮抗しているとのこと。
慣れた古いパターンを繰り返す自分と、新しいパターンを作る自分が半端ない状態で対立しているそうなのです。実はすでに新しいパターンを味わっていて、どんなものかを知っているし、好奇心が旺盛でそちらのほうに向かうエネルギーも強いんだけど、慣れたものを維持する並々ならぬパワーもあるので大変なことになっているのです。
しかも、2012年というのは、本当に新しいこと(これって1月のエネ予報にもあったけど)に進む強いエネルギーが地球を覆っているので、それもプラスされ私の中ではありえないほどの対立が起きていた模様。で、私の場合、体に現れるタイプらしく、あえなく撃沈。
2012年に入って、ずっと体調がかなり悪かったから、さすがだな2012年と体感したわけです。
私の場合、過去繰り返されてきたパターンの一つに三角関係がございます。
私が瞑想を学んだ先生の一人は、「すべての人間関係は三角関係で破綻する」というようなことをおっしゃってました。男女の三角関係が一番わかりやすいけど、「仕事と私どっちが大事なの?」とか、いろいろなバリエーションがあるのです。
すべての人間関係の破綻が三角関係に関係あるかどうかは、私にはわかりませんが、
私の場合、結構、顕著なのが”先生的な存在が二人に私”という構造。殴り合いとかはないものの、本当にその二人が激しいバトルになっていて、板ばさみに苦しんだこともありました。数年たっても解決せず、結局最後には、どちらとも縁がなくなりましたけど。
もう繰り返したくないなと、ここ2年ぐらい割と明確に意図していたのですが、最近また、新しい学びに入ると、このパターンが現れてきました。なんとかクリアな道を作りたかったのですが、どうもうまくいきません。ちっ。
このクラクラの原因の大きな一つはこれだなと思い、今朝その一つを手放す方向で行動に
うつすことにしました。
だって、体がきついんだもん。
手放すことは逃げることになるかもしれないとも考えたのですが、『パターンが見えているときにそれをやめることは逃げることではなくて、自ら選択することだ』というちょっと見落としがちな視点をガイドが教えてくれました。
これ結構、思考に巻き込まれているときは、わからなくなるポイントだなと思いました。
で、朝、瞑想会まであと3時間という時点で手放すことに決めると、あら不思議。すっと立てるじゃありませんか。そしてそれを表明するメールを書き終え、送信し、サロンにきて、猛烈な勢いで準備。もう、普通に動けます。やった!
無事、新年最初の『ハーモニック瞑想会』と『リコネクション』のセッションを終えると、朝送ったメールの返事が届いていました。
手放したことっていうのは、あるセミナーに参加するのをやめるということなんだけど、私の登場で人間関係にギクシャクが生じてしまう人たちがいて、私が参加をやめても結局それは、とりあえずしばらくは解決しなさそうということがわかった、メールでした。
それを受け取って、どぉっと感情がでてきたので、チャンスとばかりにすかさず想念観察。
すると、これまで、「先生x2&私の三角関係」って、人類共通の三角関係カルマとか、よくわからない前世的なものみたいな印象を持っていたのですが、もっとビビッドな感情が沸いてきました。
「父と母の間で引き裂かれる私の感情」というものです。私なりに、よかれと思ってしたことが、結局二人の関係の改善にもならなければ、どちらかを救うことにもならないという感覚を、むちゃくちゃ小さいころから味わってきていたのです。
そして、小さい子どもが一人でよかれと思って何かをすること、それが良いことなのかどうか誰にも相談できないこと、そして、良かれと思ったことがうまくいかなかったときの気持ち、それを誰も慰めてくれないこと、そのすべてがものすごく心細いことだったんだ、と実感したんです。
子どものころの両親との関係はだいぶ細かく自分では扱ってきたつもりだったけど、「心細い」という言葉で表現できる感情は今日はじめて感じたものでした。寂しさとか、孤独とか、っていうのとまた違うのよ。
心細さを受け入れ、心細く感じている自分を受け入れ、想念観察が終了すると、
めちゃ元気。今朝までの、あれは、なんだったのかしらと、ケロっとして、仕事に打ち込み、今、ブログを打ち込んでおります。
ときどきね、「自分を愛すという感覚を深めるのがいいかも」とか「お母さんとの関係を解放すると前進に役に立つみたい」とか、なんていうか、心理学系、スピ系の王道みたいことをお話すると、それはもう十分向き合いましたとか、またそれですか?とか、感じる方もいらっしゃるみたいなんだけど、本当にエネルギーって複雑な面があるから、いつも新しい発見があるのですよ。
「もう知っている」、「それはもうやった」、って結構NGワードかも(笑)。
想念観察中に心細さを味わっているときは、もちろん不快な感覚ではあるのだけど、それと同時に、「あ、面白い」と感じている自分もどこかにいるのです。へー、寂しいと心細いってまた違うんだなー、とか、なんで、「心細い」はこれまでピックアップされなかったんだろうとか、興味がわくって言うのかな….
2012年は変革とかパワーの年とか言われていますが、その半端ない変革のパワーをまさに体で感じた数日でした。ほぼ強制的に変革に向かうっていうか...
これは、私の小さな個人的な変革ですが、大きな動きもこんなふうなのかも。
個人的な変革の体験を経て、とうとうコミュニティーの変革に本格的に踏み出す年になるんじゃないかなって感じています。そして、そうしたいなと。
さてさてこれからどうなることか、集中&リラックスで進んでいきましょう。