<今朝の杉並の太陽さん。どうぞ、見守ってください。波動でこれまでどうようサポートしてください、とお願いして、パチリ>
私も引き続き、前のブログ『中和から調和』へで書いた方法で祈っています。
これまで体験したことのない日本の状況の中にいて、
自分は一応無事で安全な場所にいて、私は大丈夫と思っていても、
平和に意識を向けようと主ながらも、
思いのほか結構動揺している自分を感じます。
おとといスピリチャルカウンセラーホワイトクロウことゆっきーさんが、月に一度のメンテナンスでいらっしゃってくださったときに、「歩さん大丈夫?」と言われて、あ、やっぱり、変なんだなってあらためて気がついたというか。
本当にいつもどおりでほがらかなゆっきーさんと話して、そして、セッションさせていただいて、しっかりグランウンディングを取り戻しました。
ゆっきーさんりがとう♪
いつものセッションだと、ゆっきーさんは、過去世の体験とかをがんがん感じていらっしゃるのだけど、今回は、むちゃくちゃ肉体とつながった感じのセッションだったそうです。
自分のメンテナンスは、同時にすべての人々のメンテナンスです。
自分の意識をクリーニングすることは、自分が癒されることは、それは私たちの意識がクリーニングされること、私だけではなく、私たちが癒されることの一部です。
いつも、そう思って、自分のクリーニング、そして、クライアントさんとのセッションをしているのですが、この日は、特にその思いを強くもってセッションさせていただきました。
ゆっきーさんを通して、地球とその上に乗っかっている私たちみんなを癒すみたいなね!
いつものエッセンスに加え、Wisdom of The Earth の強力な植物の精霊さんたちを
バンバンつかってセッションさせていただきました。
ものすごく肉体とつながった感があったそうです。
最初は、私も、自分の状態がいつもと違い、心臓がどきどきしていました。
この局面に、日本人の一人として存在して、動揺しているのを感じましたが、
セッションが始まると、じょじょにいつもの自分に戻り、
いつもよりも、エッセンスに対する感覚が鋭敏になっていたぐらいでした。
いろんなサイト、さまざまな方々が祈りを呼びかけています。
私も個人で、そしてクライアントさんとのセッションを通して祈っています。
でも、自分では気が付くレベル、気が付かないレベルで、心がわさわさして、
祈りに集中できません。
こんなときこそ、想念観察の本領を発揮です。
昨日の祈りでは、私は、ブログで書くのはちょっと気が引けるような想念を自分の中に見つけました。
祈っていて、自分の中の不調和で祈りに集中できなくなった時点で、
その不調和にフォーカスしました。
毎日、ニュースで、どのくらい大きな災害だったかを目の当たりにします。
それを見ていて、『災害が大きいほどよい。』という感覚を自分の中に見つけました。
(今、こんな言葉を書くことは、大変な状況にいらっしゃる方々のお気持ちをさらに苦しいものにしてしまうかもしれません。ごめんなさい。私のその想念を中和して、調和を目指す内容です。どうかどなたの心も乱さないことを祈ります。)
自分のそんな感覚は、隠しておきたい。
でも、それに正面から向き合います。
決して、その想念を責めません。
縁あって私の中に存在しているのだし、
なんらかの形で私の役に立とうとしてくれていた想念さんですから。
何がその感覚をもたらしているのか、感じていきます。
考えるのではなく、感じます。
思考で答えを見つけるのでななく、イメージが思い浮かぶのにまかせます。
すると、「競争心とサバイバル」を感じました。
競争心のまったくない人、サバイバルの感覚をまったく持たない人は、ほぼいないと思います。
もちろん、それに基づいて行動しない人、それにまったく左右されない人はたくさんいらっしゃると思います。
でも、動物としてのDNAに刻まれた感覚なので、誰しもその成分を持っているんじゃないでしょうか。
より大きな権力を持っている、より多くの人を動かせる、より大きな土地を持っている、よりたくさんお金を持っている、よりたくさん食べ物を持っている、そのほうが自分が生き残るに有利だ。よりたくさんの女性を持っている、そのほうが自分のDNAを残すのに有利だ。
そんな、感覚を感じました。
すると、買占めに走る人の感覚につながっていきました。
さらに、もっと多くの快楽、もっと大きな繁栄、よりたくさんの電量を消費すること、もっと安く、もっと長く、もっと多くのxxxxを....
必要以上のものを求める。
多いほうがいい、大きいほうがいいという感覚の味わいがありました。
だから、災害でもなんでも、大きいほうがいい、たくさんTVに出たほうがいい、一番になりたい、
世界一になりたい。。。そこにつながっていく。
そうか、そんな風に感じてたんだね。
そんな思いを抱いてがんばって、勝ち残って生き残ってきたんだね。
つらかったね。
いつもいつも競争して、大変だったね。
淘汰される不安にさいなまれてきたんだね。
サバイバルできなく、果てていく、恐怖の中にいたんだね。
ごめんね。
これまでがんばって、命をつなげようとしてくれてありがとう。
あなたのやり方は十分体験しました。
本当にありがとう。
もう、じゅーーーーぶんに体験したから、純粋な可能性のエネルギーに戻ってね。
そして、個としての私だけでなく、人類の中にあるあなたたち、
そして、あなたに関連しているエネルギーさんも、どうかどうか純粋な可能性のエネルギーに戻ってくださいm(_ _)m
お疲れさまでしたm(_ _)m
結構、これやっているときに、顕在意識が耐えられなくて、
半分寝ている状態になってしまいました。
そして、今日は、ヘリで水をまいているのをニュースで見ていました。
難しくて、激しく危険な作業です。
応援しようと思って、瞑想に入りました。
でも、すぐさま、こんどは、
『やっぱりダメだった』意識が感じられました。
ここ2、3日の個人的なテーマでもありました。
ゆっきーさんが来てくださったときに、
「今年はエッセンシャル・エッセンスで花粉症がなおるかと思ったけど、やっぱりだめだった」と言ったとき、「『やっぱり』っていったよね?
やっぱりってつくと、やっぱりが実現化してしまいますよ。」って、教えてくれました。
ひーっ、自分では、『やっぱり』って言葉を使ったことすら意識していませんでした。
うわー、そのとおり!
そうか、やっぱりだめだったと思いながらエッセンスさんを使ったら、
そりゃエッセンスさんも気分悪いし、効かないと自分に言い聞かせているようなもんだった。
エッセンスさん、ごめん。自分、ごめん。
と思っていたら、
友人から「今年は花粉がひどい。いつもは薬なしでがんばるけど、ことしはダメかも」というメールがきました。
私は、今年は、薬は一回しか飲んでなくて、あとは、我慢しています。
そういえば、目のかゆみは、一時的にしか来ないし。
耐えられないほどの鼻堤防決壊の日は、一日だけだった。
いつもは3月頭か、2月下旬から薬を飲んでいるのに、薬なしで、これってことは、
やっぱり(あ、また言った。口癖なんだね。)エッセンスさんは効果があったのかも、と、マインドを変えたら、体験が変わるということがあった後でした。
祈りのとき、「やっぱりダメ」感がむくむく頭をもたげます。
そこで、また、想念観察で中和です。
『やっぱりだめ・無理』という思考・感覚をもたらしている記憶・情報はなんですか?
すると、なんだかよくわからないけど、だめだった感が、心の中に広がります。
悔しい感覚や、腹が立ってくる感覚、無力感、不条理感、etc...
そうした感覚を味わい、受け入れて、
ねぎらって、純粋な可能性のエネルギーさんに戻していきました。
そして、ヘリの応援の祈りに戻ります。
大変な状況にいらっしゃる方がたくさんいるときに、こんな風に自分の不調和の調整に一生懸命になっているのには、理由があります。
私の体験している世界では、
私の中の不調和なエネルギーが不調和な状況を作り出します。
本当に私と私たちの分離がないのなら(ないと思ってるんですけど)、
私の不調和を修整することは、私たちの不調和を修整することだもん。
だから、私は自分の不調和を先に調整します。
そして行動→修整→行動→以下省略です。