« カタルシス・ブレスワークを開催します。1月23日 | メイン | アカシック(オカシック!?)-セドナ日記 2010冬 »

本物のリトリートでウニヒピリに出会う-セドナ日記 2010冬

昨日、日本に戻りました!

今回のアメリカ研修&セドナツアー、いろいろ、また体験しました。
数日にわたってシェアさせてくださいね。

11月5日から12日までのオーハイでの「ジョン・シャーマンによるリトリート」のあと、セドナに向かいました。

12月2日からはじまるリコネクション・ルーム主宰のセドナ・ツアーが始まるまで、
贅沢なフリーの時間を過ごすことができました。

DoeMt.JPG Doe Mt. の朝日ちゃん


高級別荘で暮らす2週間、セドナの高波動の中、ラグジャリーに優雅な休日を過ごしましたとさ、のはずが….

【リトリートretreat】避難、引退、引きこもり、瞑想修養

真のリトリートが始まりました。

何をしていたかというと、毎日、想念観察、瞑想、& looking at yourself です。

ジョンさんのセミナーの特徴を一言でいうと、究極の『ピークなしセミナー』です。
私もそうでしたが、少なからぬ人がセミナー、ワークショップ、ヒーリングなどで、
大きな解放、感謝の涙、悔悛の涙、至福、喜びと笑い、白い光の体験などなど、
ある種のピーク体験を求めるのではないかしら?
ピーク体験は、自分の意識をシフトさせる素晴らしいブレークスルーになります。
でも、こうした意識状態の変化は、どうやら、かならずしも、自分のパターンの恒常的な変革につながるわけではない模様。
変革につながるときもあるし、そうでないときもあります。
セミナーという、ある種、特殊な状況でピークを体験することが大切だと思ってそれを求め続けていると、その後の持続がなくて、あれれ、そして、また次のセミナーを求めるという、なんだか中毒症状みたいになっちゃったりして…
セミナー中はいい気分になるので、何か自分が大きな変化を遂げたような気になってしまうのですが、
気が付くとただの中毒だったり、なんてね。

ジョンのリトリートでは、ピーク体験というものが、まったくありませんでした。中毒の危険なしです(笑)。
みんな、自分の体験をシェアするか、質問をして、ジョンが回答する、というスタイルで進められますが、静かな感動があるぐらいで、超淡々と進んでいきます。
Look at yourself 自体は、自分ひとりでやることなので、セミナー中にみんなで体験してみましょうという時間もありません。

でも、私はこのピークなしセミナーは、とってもよかった。
ちょっと前までは、一般の人が自己のさらなる可能性につながるために、自分の意識を意識的に変容させるという機会があまりなかったと思います。だからピーク体験も大事だけど、だんだん、少なくとも私の周りでは、そうしたことはよくあることになってきました。すると、今度は、ピーク体験を求めることを目的とするのではなくて、日常でどう自分と日々向き合うかに落とし込むのがもっと大切になってきていると、切実に思います。
日常ではさ、ワークショップやセッションみたいな状況って作れないじゃない、でも、その日常が人生の本番だから。

そうした、素敵なピークなしセミナー後、真のリトリートの時間を取れるのは
ありがたき幸運。

なんだけど、別に意図したわけではなくて、今回は、なぜかセドナのお友達が日本にいたり、セドナでの人間関係に大きな変化があったり、しかも、すごく寒かったからどこにも行きたくなくて、微妙に一人ボッチだったので、とにかく、自分に集中する時間をもったのでした。

しかも、オーハイでのリトリート直後、高波動の土地での瞑想、さぞかし、精妙な瞑想ができるはずが、なぜか、毎日号泣。涙、涙、涙。

想念観察をしても、すっきりせず、さすがにlook at yourself のときは、心が静かにはなるんだけど、瞑想に入るとまた号泣。

大きな別荘だったから、人目を気にしなくていい分、遠慮なく号泣できるもんだからとまりません。

瞑想しても瞑想しても、だめ。
深いところの悲しみとか、悔しさとか、後悔とかわらわら出てきます。

普段だったら、こんなとき、ガイドの通訳『渡辺さつき』をとおして、ガイドの力を借りるのだけど、
今回は、一人で乗り切るときがやってきた感がありました。

だから、とにかく一人で号泣。
こんな毎日なもんだから、一週間ぐらい、セーフウェイの店員さんとしかしゃべらないような状態です。

だんだんツアーが近づいてくるんだけど、誰にも会いたくないし、困ったなぁ。
なんて、思いつつ、また想念観察&瞑想&look at yourself。

すると、突然、瞑想の中に、見知らぬ子どもが出てきました。
は?
あんた誰?

私は、視覚化が得意ではないし、好きではないので、瞑想は主に、シンプルにハートに意識を向けるというやり方をしています。イメージとかは使いません。
だから、誰かが出てくるとかは、基本的にないのよ。

ところが、突然でてきたの。

びっくりして、途中でやめちゃったんだけど、
その後、あらためて瞑想して、ちょっとづつ近づいてみました。
私、子どもと接することは、普段ぜんぜんないから、どうしていいかよくわからず、
おっかなびっくり(笑)。

すっごく天真爛漫で、にっこりと笑っている子なので、最初は、よくわからなかったんだけど、
どうやら、私のインナーチャイルドのようです。
インナーチャイルドっていうと、なんかトラウマを背負っている悲しいイメージでしょ。
でも、この子はそうした暗いところがぜんぜんないの。
だから、インナーチャイルドといっても、私の中にいる傷ついた子どもという存在ではなくて、潜在意識のエネルギー、あるいはホオポノポノでいうところのウニヒピリのエネルギーの存在という感じです。
私の過去のデータをすべて知っていて、かつ、地球の誕生から現在までさまざまな記憶が保管されているエネルギー。

それ以来、この子とコミュニケーションととっていくうちに、号泣がやまってきて、
落ち着きだし、セドナ・ツアーへの準備が整いました。

この時点で、インナー・チャイルドワークのセミナーを開催しているさつき&ガイドにソウル&ボディセッションで相談してみたところ、やっぱり、その子は、インナーチャイルド=潜在意識だと再確認。

ガイドとかハイヤーセルフは、俯瞰的な視点を持つ存在で、「どっちを選ぶのもあなた次第です。どっちを選んでも間違いではなく、それぞれの学びがあります」みたいなニュートラルな、高次の視点のアドバイス的なことを伝えてくれる存在だと感じます。
これももちろん大切だけど、これだけじゃ、自分の望みはわかりません。

インナーチャイルドは潜在意識だから、ガイドと違ってアドバイスとかを与えてくれる存在ではないけれど、自分が何を本当に感じているかとか、何が好きかとか、何を望んでいるのかを知っている、
そんな存在なんだって感じました。

私、ここ2、3ヶ月、自分の望みを持つことを許可するということを個人的にワークしたいたの。こうゆう風になりたいとか、こうゆうことを実現したいとか、ということを設定するのが異常に苦手なの。無執着ということに執着しすぎというか、無執着というと聞こえがいいけど、どこかしら背景にどうせ来ては去るし、どうでもいいという、どちらかというと、絶望感のような感覚があって、願望を設定するとか、願いを持つとかがすごい苦手だということがわかり、それに取り組んでいたんだけど、なんだか、全然光が見えてこなくて、困ってたんだよね。
それが、突然のウニヒピリ登場。

やったー!

以前も、ハワイのフナの学びをしたときに、自分のウニヒピリに出会うエクササイズとかやってみたけれど、意識的にやると、どうもぴんとこなくて、コミュニケーションをとることができず、
日常で続けることができませんでした。

でも、今回は大丈夫。

やっぱり継続って大事です。
何かの実践をするときに、成果がないように見える時期ってしょっちゅうやってくると思います。でも、それは、潜在意識の中で何かを解放していたり、準備を整え中なのかもしれません。
やっぱり、現象で何かが起こるときには、すでに、エネルギーの世界(潜在意識もエネルギーの世界ですね)では、それは終了しているんでしょうね。

こうして、12月のツアーの準備がととのったのでした。ほっ。

<セドナ日記は続きます>