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ダイナミックバランス

バランスという言葉を聞いて、みんなはどんなものを思い浮かべるかな?

私、ここ最近、つらつらと考えていました。

最近、バランスが崩れているので、なんとかしなきゃ。
私(あの人)はバランスが悪い。
バランスが取れている人がうらやましい。

などなど、

私たちはよく「バランス」って言葉を、何の気なしに使うよね。

【バランス】釣り合い、均衡、平衡、平衡性、調和

ってきくと、平衡がとれていて、静かになっている状態をイメージしないですか?
やじろべえ(最近見ないね)が揺れない、止まっているような静かな感じ。

でも、人がバランスが取れているって、決して静的な状態であるはずないよね。

宇宙・自然・わたしたちは、いつも変化の中にいるでしょ。
その中で、静かに止まっていることはないものね。
自然の中のものは、止まっている状態が続くと、それは【停滞】と呼ばれ、
【停滞】が続くと、【崩壊】とか【腐敗】に進み、最終的には、まったく違うものに形を変えるというプロセスをたどるから。

自然の中の存在のわたしたちも、静かに止まっている状態は、一瞬であればいいけれど、
それが続くと同じように【停滞】するしねぇ。

だから、バランスをとりたいって望む人、結構たくさんいらっしゃると思うけど、
それは、自分の中で完全な均衡が取れていることではなくて、
常に均衡に向かって動いて調整し続ける働きの中にあることが、
私たちのベストなバランスの状態っていうんじゃないかなーって、考えてました。
だから、常に、微妙にバランスしていないけれど、それを調和させる動きの中にいるようなイメージ。説明が難しいなぁ。

「今日食べ過ぎたら、明日の朝は抜く。」みたいなことかな。
これ、バランスが悪くて修正すべきことのように思う人もいるかもしれないけど、
これでバランスが取れているって風にとらえる人もいるよね。

この食事の件は比喩であって、いろんなことに適応して考えたら、どんなことに気づくかな?

そんなことを最近考えていたのだけど、
先週の週末、『統合的な自己成長のワークショップ』に参加してきました。
現代思想家・実践家であるケン・ウィルバーが、自らの提唱するインテグラル理論に基づいて構築した自己成長のワークの紹介的な内容でした。

超激しく大雑把に、不正確なのを覚悟でインテグラル理論を説明すると、
すべてのものを包括的にとらえるって視点で物事を見るための理論ってことかな。
完全に間違っているものもなければ、完全に正しいものもないから、
よいところを統合・包括していく理論を作っていこうってことだと思います。

「自己成長」に関しては、ボディ、マインド、スピリット、シャドー(潜在意識)の4つの領域すべてに関してなんらかの実践をすることが大切だというお話でした。

まぁ、そんなの当たり前かなって思いますよね。

でも、結構大切な考えかと思いましたよ。
何かの実践をしているとしますよね。たとえば、ただただ想念(思考・感情)を流していき、想念が自分の本質ではないと見切っていくタイプの瞑想を実践しているとします。
(ちなみにこれはスピリット領域の実践です)
これは、これで、本当に素晴らしいのだけれど、ともすれば、これだと潜在意識のお掃除とかはあんまりしなかったりするから、瞑想をしてすぐマインドは静かにはなるけれど、どうもなかなかカバーされない思考のパターンや行動パターンがあったりします。でも、瞑想すると、そのときは平和になっちゃうから、まあいいやで、なんだか先延ばしにしちゃうっていうことがあったりします。
私なんかは見に覚えありありです。
あるいは、体のケアは無視無視で、じっと座って瞑想ばっかりして、体が弱くなったら、瞑想状態すらキープできないことにもなったりするというわけです。

もっともですよね。

でも、人は好みがあるし、自分に合うものと、そうじゃないものってあるから、どの領域も同じだけ実践しろっていうわけではなくて、たとえば、スピリット領域の実践を60で、マインドを扱うことが10、シャドーを扱うことが10、ボディを扱うことが20でも、それはそれでOKで、気をつけたほうがいいのは、ある何か一つのことを実践していれば、あるいは一つの教えを深めていけば、自己成長のすべての領域がカバーされると盲信すること、だそうです。

これは、みなさん、イロイロ、異論もあるかと思うけど、私は、理にかなっているかなと思いました。

(ただ、ここでは簡単に瞑想っていったけど、一つの実践の中にすべてが組み込まれているようなタイプの瞑想もあるかもしれないし、やっぱり言葉にとらわれないで、
自分の実践に4つの領域が入っているかどうか見極めるのが大切かなって思います。)

このインテグラルなアプローチの実践方法が言わんとしていることは、ある一つの教えが、自己成長のすべての領域をカバーできるわけではないってことだと思うけど、それは意識してもいいアイデアかなって感じました。

で、実は大幅に話が脱線していたのですが、
そのワークショップの中で、「ダイナミックバランス」という言葉を知りました。

まさに、「バランスというのが、静的なものではなくて、常にバランスをとるというプロセスの中にある」という概念らしいです。
しかも、ダイナミックバランズの両極は、極端なほう、つまり揺れ幅が大きいほうが、よいそうです。幅広く学べるということかしらね。

私は、基本的に、昔からバランスが悪いというか、すごい極端なタイプで、
数秘で見てもそうなんだけど、【自己探求・自分のやりたいことに突き進む】、【人の役にたつ、奉仕】、【一人で静かにしている】のエネルギーが同時に振動しているもんだから、さあ、大変。
常にバランスをとるプロセスの中にいつづけなければ、ならないわけで、バランスが止まるという感覚ではまったくないのです。まったく落着きません。
でも、ダイナミックバランズでは、ゆれが極端なのがよいそうだから、
これいつも面倒くさかったけど、まあ、いいことにしようかな(笑)。

バランスってスノーボードのハーフパイプを上手にすべるみたいなイメージなのかな、って思います。
右に左に向かいながら、ときどき珍しい動きをしたり(よくわかってません)、よろっとしたりね。

そんな、講義を聞きながら、ふと、自分自身を振り返りってみると…
20?30才ちょいまでは、ゲシュタルトセラピーやブレスワークばっかりだったので極端にマインドとシャドーの実践に傾いてました。
カフナの学びはスピリットの領域が多かったのだけど、当時はそれをスピリットの学びとして、受け止められなかったんだよね。私の準備ができてなくて。どっちかと言えば、肉体とエネルギーを鍛えるボディの領域でがんばってた(笑)

でも、心理療法に限界を感じて、瞑想をはじめて、そののちヒーリングに出会うのですが、今度は数年間、今度は、スピリットのワークに相当傾くわけです。もちろん、瞑想意識の中で、カルマが解消したりするらしいので、瞑想でもマインドやシャドーも扱われてはいるけれど、あまり意識的にはやりません。
マインドを気にしすぎると、思考にまみれちゃうからね。

そうした時期がまた数年続き、今度は、
ここ1年ぐらい潜在意識のケアが足りないのを実感し、潜在意識(シャドー)を扱う大切さに気がついて、そこにフォーカスをおき始めたわけです。

結構、長いスパンで、ダイナミックバランズをしてるんだなって思いました。

潜在意識のクリーニングはやっていても、どっちかというとスピリット領域に傾きがちな私は、久しぶりにマインドやシャドー領域に関する講義を聞いたり、ワークをしたりしたら、なんだか思いのほか新鮮だったし、楽しかったし、発見があったり、ヒントが得られたり大収穫でした。

もっとスムースにダイナミックバランスできるようになって、極端の端っこで、
スノボでいえばダブルマックツインみたいなの、決められたら、かっこいいかも、って
私のエゴさまがきゃーきゃー言ってます
(私の人生においてダブルマックツインがどうゆうことなのかは、いまいち不明(笑)
どちらかというと、なんか、おいしそうなイメージ)。

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2010年11月06日 17:56に投稿されたエントリーのページです。

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