« ダイナミックバランス | メイン | 5 day リトリート with ジョン・シャーマン (その2) »

5 day リトリート with ジョン・シャーマン (その1)

ハロー、カリフォルニア州オーハイにいます。
ロサンジェルスから車で2時間ぐらいかな。
山の中の小さな町です。

CIMG4956.JPG

今、ここで、ジョン・シャーマン(John Sherman)さんのリトリートに参加しています。
ジョンさんの名前を知ったのは7年前、『あなたもきっと悟れる』という本の中に
ちょびっと登場します。著者の方が、それまでも見性体験はしていたものの、ジョンさんに出会った瞬間に思考が止まり、意識の目覚めを受け入れたというエピソードがこの本の中にありました。

2年ぐらい前から、ときどきジョンさんのHPを見たりしていたのですが、ど
うもよくわからないのです。ちっともよくわからないといったほうがいいかも。

ジョンさん、look at yourself 『自分自身を見つめなさい』しか言いません。

どうやってやるの?
私だけでなく、誰もが聞きたくなりますよね。

とか、「自分って、どの自分ですか?」とかね。

ジョンさんは、その昔、小切手詐欺をしてつかまったり、共産主義革命家として、
銀行強盗(銀行は資本主義のシンボルみたいものですものね)とか爆破とかで刑務所に入り、その後、脱獄し、またもや刑務所に入っていました。
刑務所の中で、チベット仏教の教えに触れ、共産主義のはまったのと同じ勢いで、
チベット仏教にはまったそうです。
その後、刑務所の中でアドヴァイタ ヴェーダンタ(私たちの真の自己「アートマン」 と普遍的、超越的自己「ブラーマン」) は同一であるという教え。インド哲学ですね。)の教えをするガンガジというアメリカ人のグルに出会って、覚醒し、サトリを開いた囚人として残りの3年を勤め上げ、
18年の刑期を終了しました。

ただ、彼の場合は、覚醒しました、めでたしめでたしにはならなかったそうで、その後、それをむちゃくちゃ失い、それまで以上に苦しんだそうです。
覚醒の状態にいる、一年半の間は、本当に個我というのがなくて、気づきの意識だけだったそうです。「冗談ではなくて、本当に一年半は覚醒状態にいました(笑)」っておっしゃってました。
一年半覚醒状態にいたなんて、ほんと、うそみたいに聞こえるよね。

それを失った後、その地獄の苦しみの中で、ラマナ・マハリシの本をとにかく読んで、ラマナが何を言わんとしているのか、そうとうしつこくいろいろなことを実践してみて(刑務所にいるから時間はたっぷりあります)、すごい努力をして、人生に対する恐怖が消え、人間としての人生を心底愛すことができる状態になり、現在教えていることにつながっていったそうです。

これだけなら、よくわからないとか言わなかったと思うんですが、
彼が教えようとしていることは、瞑想とか関係ないっていうんですよ。
スピリチャルな実践ですらないって言うんだもん。

ええ、どうゆうこと?

オンラインのクラスがあって、それで少しお話してみたのですが、やっぱりわからないの。

わからないからもう行ってしまえ、ということになって、今、ここにいるわけです。

わからないなりにも、ちょっとわかってきましたよ。

ジョンさんはこれまで12年間、自分が理解したこと、自分と自分の人生を分離させることからの解放を伝えることをしています。リトリートも今回で12回目だそうです。

いつもはリトリートに目標というものはないんだそうですが、今回は、ある特定の目標があると言ってました。
それは、自分が今、伝えていることは、自分が学んできたスピリチャルな学び(特にアドヴァイタ ヴェーダンタ)とは関係がないということ、スピリチャルな実践ではないということをはっきりさせて、それを超えていくということでした。
それは、アドヴァイタ ヴェーダンタがよくないとか、役に立たないとか、そうゆうことではなく、ある程度役に立つものだし、今、教えていることは、アドヴァイタの教えを学ぶことなしに、理解し得なかったことは事実だけれど、その枠組みの中で、人が本当に解放されていくことは非常に難しく、ほぼ成功は難しいそうです。

で、ジョンさんが教えているのは、自分自身であることはどんな感じなのかを見つめなさい、自分自身の実際の本質(性質)に直接触れなさい、ということなんです。

でも、どうやるのかは、説明できないんだそうです。

とにかく、自分自身であることはどんな感じがするかにフォーカスするということだけです。
みんな、何かに意識を向けることはできますよね。たとえば、今、みなさんはPC上の私か入力した文字に意識を向けています。そこに向けている意識をキーボード移動することができますよね。で、次に、自分の指に意識を向けることもできますよね。こうゆう風に、意識を向けるところは、自分で選択して、変えることはできます。それと同じことで、意識を自分自身に向けてみてごらんということです。でも、どうやってやるかを逐一説明することはできなくて、ただ、やってみるしかないんです。

スピリチャルな教えではないとおっしゃっている意味は、私のつたない理解の範囲ですが、
スピリチャルな教えは、結局は、今の自分の状態になにか問題があって、それをなんとかすることをしようとしているけれど、そのやりかたではうまくいかないということなのではないかと思います。

たとえば、人生で起きてくるさまざまな悩みや、疑問、なんでもいいのですが、どれも、つきつめていえば、今の状態があるべきものではないということのバリエーションです。
そして、そうした人生の中で起きてくる不満や、修正すべき、よりよくすべきと感じることがらは症状であり、その症状を引き起こしているもとは、人生そのものを恐れる感覚だそうです。人生ではいろいろなことが起こるし、そうしたことから自分を守らなければならないと自分をプロテクトすることからさまざまな症状が起きてくるのです。

人生VS人生から守るべき自分という分離が生まれてしまっています。

人生を恐れるという現象は、夜中にはっと目を覚ましたときに「え、今、自分はどこにいるんだっけ」って心もとなく不安に思ったような体験と同じで、生まれたときに、自分がどこにいるのだか、何がなんだかわからないという体験をするところから生まれているのではないかと言ってました。

で、その根本の恐怖、人生に対する恐怖、人生がわけがわからないもので、自分にとっての脅威であり、なんとかしなければならないものであるという恐怖を取り除かないと、
何をやっても、どんなに自分を向上させても、その根底に、人生に対してぶつぶつ不平を感じたり、これでは十分でないという感覚があったり、何かしっくりこないとか、人生と自分が分離した感じを持ってしまって、自己の自由は得られません。
大きな嫌悪感ではなくても、常に根底にあって、うじうじと不満を言い続けている感覚が残ります。

その人生対する恐怖を死滅される抗生物質が、自分に注意を向けて、自分自身に直接触れるということ=【look at yourself 】なんです。

それ以外にやり方の説明はありません。
これは、人にやってもらうことはできません。
エネルギーの伝授で覚醒させるとかいうのもまったく関係ないってジョンさんはいいます。
覚醒したとしても、結局その覚醒も、覚醒していないと思っている自分には修正すべきとことがあるという=人生は対処すべきもの=人生に対する恐れということは、そのまま残るといいます。
覚醒状態にあったときには本当に至福だったそうですが、でも、今、「その覚醒状態が続く状態に戻れるとしたら、戻りたいか?」と聞かれたらNOだそうです。
結局、そのときの至福も、至福の仮面をかぶった不安というのがその正体だったからと、今、はっきりわかるからだそうです。

そして、今、ただ、自分を見る(look at yourself)、人間としての自分を見つめるということ実践し続けて、人生が対処するようなものではないこと、人生が自分の敵ではないこと、自分と人生の分離がないことが明確にわかり、自分の人生を本当に受け入れて愛している瞬間を生きているそうです。

この【自分を見る】プロセスで、大きな意識の変容が起こるとか、至福に包まれるとか、そうしたファンファーレがなりそうな体験は起こらないことのほうが普通で、その変化があまりに緩やか、あまりに当たり前にやってくるので、自分の意識が変わったことさえ、気づかないということもあるそうです。
それに、すぐに効果ができるようなものではなくて、時間をかけてなので、なおさらみたいです。
インスタント絶賛時代、すばやく変容すること絶賛時代では、一般受けしなさそうですね(笑)。

抗生物質と同じで、抗生物質を飲んでもすぐに症状は治まりません。
細菌が死滅したあとも、からだの症状はしばらく続きます。でも、その症状を引き起こした元がなくなるので、やがては症状も消えていきます。
それと同じで、最初は症状的なものには特に変化はないと感じることが多いそうです。

でも、そうして自分に直接触れるようとする試みを真剣に実践し、人生に対する恐怖や憎しみがなくなると、徐々に症状的なこと(これは日常のさまざまなところでパーソナリティーが起こすいろいろな問題や、思考や、感情、そして自分に起こる現象すら)にも変化が現れてくるし、さまざまなことが明確にわかるようになってくるそうです。
いわゆるスピリチャルなことに関する疑問も、自分自身でああ、こうゆうことかとわかるようになっていくそうです。

でも【look at yourself】は、人生で起きる痛みや、悲しみを取り去るものでも、自分が求めるものをひきよせるための実践ではありません。そのすべては、今あることが、あるべきものではないという考えから来ているから、まとはずれなわけです。
痛みも、悲しみも、ほしいものを得られないことも、人生では起こりえるけれど、
それが自分自身の本質には影響を与えない、それでも、人生が美しく、人間に生まれて本当にラッキーだと実感できる、そうした理解が得られていくものだそうです。
多くのスピリチャルな教えは、何かを約束します。
たとえば、覚醒とか、引き寄せとか、いろいろね。でも、それは、過大な期待であり、過大な約束です。現実にはそうならないこともあります。そうならなかったとき、人は、何が原因なのかとか、
自分の思考のどこが間違いだったのかとか、分析しようとします。でも、実際は、ミステリアスなことも多いのです。災害とかみたら、わかるよね。

そうゆうのをカルマとか、生まれてくる前の約束とかとして考える見方(いわゆるスピリチャルな見方ですね)もありますが、これはスピリチャルではないので、そうしたことは、問題ではないんです。
今、ここに存在する自分が人生を嫌うことを直す抗生物質を飲みましょうってことなんです。

人生や、人間関係、人間、宇宙というのは複雑で、ミステリアスです。すべてを説明しつくすことはできません。これをこうすれば、必ずこうなるということはありません。【look at yourself】はそうしたこと、そうした過大な約束をするものではなくて、そうしたことが起きても、人生を嫌わなくなる、自分の人生に何が起きてもそれに影響を受けてないことを知っているので、人生をそのまま愛せるということなのです。

こうしたことはジョンさんの個人的な体験に基づいているのですが、ジョンさんのガイダンスに従って、実践している方々も、同じような報告をしていました。

リトリートに参加していた方で、ある程度の期間、【look at yourself】を実践している数名に私も個人的に聞いてみたのですが、
「数年前までは、自殺願望があったけれど、今は、人生が美しいとか、満足している」とか、「ラジニーシの弟子としてアメリカやインドのアシュラムですごし、その後はガンガジについて学んでいたけれど、なにか足りないものがあると感じていた。ジョンさんに出会って、人生の旅は終わりがないけれど、道を探す旅は終ったとわかった」とか、「とにかく、人生をあれこれ心配しないし、何かを変えようとか、そうした自分ではないものになる努力はまったくしなくなった。自分の人生をまるごと受け入れて愛せるようになった今は、人と出会うことが嬉しくてたまらない。毎日が生き生きしている」とか、お話してもらいました。

私は、1、2ヶ月実践しています。
でも、なんか、よくわからないのよ。だってやり方がわからないものね。
普段瞑想しているときと、【look at yourself】をしているときに感じる感覚がかわらないのです。
自分なりにやってみるしかないので、目を閉じて、自分の内側にどんどん意識を向けてみます。
たとえていえば、紙にペンで字が書いてあるものがあるとして、字は自分のラベルや人生のストーリーで、その背後にある白い紙の部分を感じようとする作業です。
あるいは、私は、ふと、今、自分の中の自分があるという感覚はどんな感覚なんだろうとそこに注意を向けたりしてみます。

でも、なんか、瞑想のときと同じになっちゃうのよ。
で、質問してみました。

歩「【look at yourself】をしていても、普段瞑想しているときと同じ感覚がしてきます。」
ジョン「瞑想のときは、どんな感覚がしてくるんですか」
歩「内側に意識を向けていると、だんだん内側のスペースが広がって、境界がない感覚になってきます。」
ジョン「空間感覚も、あなた自身(you=look at yourself で直接体験しようとしているもの)とは関係がありません。」
歩「はい、だから、【look at yourself】をしていても、途中で瞑想っぽくなって、あれ、ここからどうしたらいいんだろうって、途方にくれます」
ジョン「瞑想のような体験をしてしまうとか、瞑想とは違う体験をしたということは、問題ではありません。大切なのは、【自分自身に直接触れようという意図】を持ってこの実践をすることです。実際、自分自身に触れる体験というのは本当に微細で、瞬間的なものなので、それが起こってもあなたは気が付かないでしょう。そして、気が付こうが気が付かなかろうが、それも問題ではありません。大切なのは、それを行う意図です。瞑想の意図は、瞑想状態になることであり、【look at yourself】の意図は自分自身に直接触れようとすることです。その実践の中では、いろいろな感覚や状態を体験します。どんな体験をしようが、それは問題ではありません。瞑想状態になっても、OKだし、ならなくてもOkだし。問題ではありません。あなたがそれを行う意図が問題です。そして、意図をもって真剣にやり続ければ、絶対に成功します。約束します。そして、気がつかなくても一度体験すれば、またそこに戻っていくんです。だからとにかくトライしてください。」

ちなみに、会場&宿泊は、The Ojai Retreat という丘の上のB&Bです。めっちゃ静かで、安らぎます。

うさぎちゃんやら、猫のように大きいりすちゃんがうようよいます。
CIMG4957.JPG


(その2)に続く

About

2010年11月17日 12:28に投稿されたエントリーのページです。

ひとつ前の投稿は「ダイナミックバランス」です。

次の投稿は「5 day リトリート with ジョン・シャーマン (その2)」です。

他にも多くのエントリーがあります。メインページアーカイブページも見てください。