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セドナ日記 (1)すごいリッチ編

セドナから戻ってきてまだ、2週間しかたってないんだなぁ。
もうずいぶん前のような気がします。

今回は、過去 7回の滞在とちょっと違う感じだったなぁ。と、滞在中も、振り返ってみても思うのです。一言で言えば、地味で深い。そんな感じ。

ホオラウリマ/ポノ 講座前の日々

到着後、数日、セドナに来た感じがしません。
前も1ヶ月滞在したお家を使ったからかもしれません。
だいたいいつもセドナに来ると、セドナに向かうシャトルバスがセドナに近づくにつれ、
体が軽くなってきて、気分が晴れやかになるのだけれど、まったくそんな感じなし。

宿泊先は、ステキな一軒屋です。
前は、家にいるだけで、幸せ?。で、嬉しくて、一人で家の中で喜びのジャンプをしていたのですが(本当にとんだよ)、今回は、感動がありません。

ジャクージに入りながら、なんで、こんなに地味なんだろーって、ぼんやり思いをめぐらしておりました。
すると、なんか、自分の中が貧乏な気分がしていることに気がつきました。

そういえば、ここ数ヶ月ず?っと、意識の背景に自分が貧乏くさい感じがあったかも。
今年の1月、2月、3月って徐々に、リコネクション・ルーム、始まって以来の暇な感じになっちゃって、大好きなこのサロンから、もっとリーズナブルな場所に引っ越さなければならないかもと、ちらっと物件を探してみたりもしたぐらいです。来てくださる方にも、いつも波動がいいねって言ってもらえるこのお部屋、私の大切なパートナーです。それを手放すのは、ちょっと踏ん切りがつかなかったので、「まあ、東京に住んでて、そう簡単に飢え死にとかしないはず」、と思って、とにかく、自分の心のバランスをとること、要らん情報やエネルギーをクリーニングすることに専念しました。

見方を変えれば、自分に思う存分集中できる贅沢な時間なわけですけど、とにかく、そうやって、やりすごしたら、持ち直したってことがありました。

持ち直しはしたものの、なんか自転車操業っぽくなっちゃったし、「そう簡単に飢え死にはしない」が意識の背景色になっちゃったような感じで、どっかしら貧乏っぽい感覚がずっとあったのかもしれません。

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で、この内風呂ジャクージー(外にもある)で、ろうそくをともしながら、のんびりしてて、貧乏意識にさいなまれるっていうのも、変だよなって、はっとしました。

確かに、今回、ここに宿泊する予定だった人がキャンセルになったりして、ここの支払いも微妙に厳しいという状況ではあったのだけど、もう借りちゃったわけで、今、この瞬間に支払いをするわけじゃないから、今、この瞬間は、この別荘を一人締めというありえない超贅沢をしています。

そこで、はっとしたついでに、人生のいろんな側面の貧乏度について、考えてみました。

人間関係→ 数はあんまり多くないけれど、心から信頼できる、そして愛してくれる人たちがいます。
これに関しては私、十分豊かな感じです。私の感情のいたらなさで、豊か感がダウンすることもありますが、冷静な心で見ると、超リッチ!

学び→ 私の人生の中での、ナンバーワンのリッチ項目。恵まれすぎるほど、恵まれてる気がする。

仕事→ これも、すっごいよい感じ。わたしたち(クライアントさんとわたし自身)のハートに触れる。そうしたことをダイレクトにできる、なんて贅沢な仕事なんでしょう!
自分の特性も発揮できるありがたい仕事です。それに、セドナに仕事で用事があるなんていうのも豊か感アップです。

お金→ 確かにね、前に比べてリッチ度は減りました。自転車操業っぽいですから(笑)。
でも、サロンも守れたし、ほぼ食べたいものを食べ、なにかをむちゃくちゃ我慢していることはありません。それに、この瞬間は、自転車をこいでいるわけではありません。支払い日のときだけ、ちょっと工夫が必要だったりするだけです。今の私の一日の中で、お金の量が直接影響する時間なんて、ほんの数秒・数分です。しかも、たいしたことではありません。この服ほしいけど、バーゲンまで待とう、とか、
これやりたいけど、今は無理だとか、やっぱやめようとか、ほんの3秒で終わりです。

でも、こうして、貧乏感を分解して考察してみると、私の生活の中のほんの一部、もし、一日のうち5分お金の足りなさを感じたとしても、300/86400、約分すると864分の3だけが貧乏時間。
つまり、人生の864分の3だけが貧乏なのに、なんか、貧乏意識が他の861の部分にまで影響を及ぼすんだなーって感覚がわかりました。
全体的に、喜びが少ない感じになってたもんねぇ。
いやいや、これは勿体ない。

その気づきの数日後、お友達がベルロックとかコートハウス・ビュートのあたりにつれてってくれました。
あやこさんとは、去年、ツアー中にカセドラル・ロックの天辺で出会いました。なんか、たくさんの人が歌ってると思ったら、なんと、彼女一人の歌声で、びっくり。
彼女もしょっちゅうセドナでツアーとかをしています。私のツアーは学び系ですが、彼女のは、ハイキング系。プライベートでもめちゃくちゃハイキングしているらしく、今回は、なんどもお誘いいただきました。
私、免許もってないから、超ありがたい。

わたしたちは、ベルロックの横にあるちょっと小さめの岩山に向かいました。
ここは、ベルロック、コートハウス・ビュートが眼前にそびえるだけでなく、カセドラル・ロックも見えるし、セドナを一望できるとっても眺めのよいところ。

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もちろん、あやこさんは歌を歌い。私は、ヴォイスヒーラーの歌をバックに太陽写真をとるのです。そんで、エネルギー交換とか、いろいろシェアしあったり。

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岩に寝そべって、この風景の中の一つと化していると、自分がものすごーいリッチな感覚がしてまいります。何の問題もなく、この素晴らしい景色の中で、ただリラックスできる身分のリッチさといったら、言葉にできません。いや、できる、超リッチ。
私が今、目にしているこのゴージャスな自然の美しさ、これは全部丸ごと私のものです。
その岩山を所有しているというわけではないけれど、私の目に映されたものは私の世界。私のものだもの。
そんな豊かさを実感していると、お金の心配をする瞬間もあるし、返済しなければならない借り入れや、支払いもいくつもあるけれど、それでも、きっと、私、全世界的に見てリッチランキング上位10%とかに入るかもとかって思えてきました。
もちろん、正確な数字はわからないし、比較することは苦しみをうむ行為ではありますが、
比較というよりも、自分は自分が思っている以上に超豊かだって感覚を言葉的なイメージに変換したら、
こんな感じだったの。
とにかく、今まで思ったことのない方法で、自分の豊かさを実感として感じた瞬間だったのです。

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なんか、すっごく気分がよかった。


そして、この実感こそが、私がセドナツアーをする理由の一つなのです。
自分が無限の存在で、常に変化・拡張する存在で、制限がないこと、
視点を変えれば、ありのままの自分がそうであることを、
感覚的に感じる助けになる場所がセドナだと思うんですよね。

帰ってきてからも、この感覚は続いています。

なんとなく全体的に喜びが少なかったり、かなしっぽかったり、貧乏くさかったりしているときが続く感じがしたら、自分の生活の一つひとつを検証して、何が影響しているか見極めるのもときには役にたつと思います。
864分の3だけが不満なのに、ぜんぶが不満って感じちゃってること、あるかもですよ!