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セドナ日記(4) 帰国後編

私的にびっくりしたことというのは....
理由のない幸せ感がずーっと続いているんです。

そう、セドナにいったときには、めそめそしていたり貧乏くさかったり、全体的にこれまでのセドナ体験の中では、私個人でいるときの気分がもっとも地味な一ヶ月でした。

行く前と、戻ってから、自分を取り囲む状況は、見た目、まったっく変わっていません。
だから本当に理由のない幸福感なの。

そして、これこそ、私がいつも大切にしたいとおもっていること。

もう、7年ぐらい前になるかしら、
5年間ほど瞑想を学ばせていただいたグループの瞑想リトリートに始めて参加したとき、
私はこんな体験をしました。
当時、私が書いた感想文です(なんか、恥ずかしいなぁ)。
だから、今のわたしが感じていることとは、ちょっと、違うところもあるけれど、
こんな経験がありました。


「私がここで学ぶことを決めた理由にはいくつかりますが、
その中の一つがセミナーの進め方です。 
以前に心理学の勉強をしていたときに、とある研究所に、週に一回、通っていましたが、
いちばん大きな問題を抱えた人にいつも焦点があたっていました。

そうした背景を持って参加した初めての瞑想セミナーは衝撃でした。 
毎回セミナーの流れは異なりますが、初日のフォーカスパーソンは中級以上の方ばかりで、
状態でいうと初めて参加される方よりも、落ち着いているように思われる方たちばかりがカードで選ばれていました。 初回の人たちにフォーカスがあたるのは、二日目以降です。
高いお金をだして、不安や恐れと戦いながら初めてセミナーに参加したのに、黙って人のワークを見ているだけ。 感想さえ聞かれません。「初心者は無視なの?問題をかかえているからきているのに、一体なんなのここは。ぜんぜん相手にされない。損した。」という不信感さえ抱きました。 

セミナー終了後「ここのセミナーはわけがわかんない。なんだったのだろう。」と思いながら家路につきました。 ところが、帰ってすぐに自分の感情・思考そして状況までもが大きく好転していました。
大きな失恋の痛手や、孤独感、そして借金など、非常に心理的に苦しい状況で参加してセミナーでした。不振感にまみれながら参加したたった2泊3日でしたが、家に戻ってから1、2ヶ月間ほど理由のない幸福感が続きました。
この事から気づきがありました。 問題ばかりに集中すること事体が、あらたなネガティブなスパイラルをつくり得ること。自分より高い波動に共鳴する事で始めてヒーリングが起きる事、先に進んでいる先輩の方々に知らない間に、波動を引っ張りあげて貰って成長し、知らない間に人生が変わっていくことです。目から鱗でした。」

とまあ、こんな感じで、非常に高い意識の中に入ることで、理由のない平和、喜びを感じるということがあったわけです。
それは、歓喜とかエクスタシーみたいな激しいものではなくて、
なんだか平和・なんだか静かに幸せ、といったようなさりげない感覚です。
でも、これがハートの本質に近い感じがするのです。

で、そうしたハートの本質に近い意識をなるべく保つために5年もの間、
年に4回ほどリトリートに参加してきました。
そこでの学びはとても素晴らしいものでしたが、諸事情で2年ほど前から参加をやめることになりました。
リトリートがリコネクションのセミナーのアシスタントの時期と重なることが多かったり、TAを辞めてからも、セドナに行く時期とかさなることが多かったり、自然と足が遠のくようになってしまったの。

そうしているううちに、
いわゆるスピリチャルな実践をしている方の多くがこの疑問をもつ時期があるんじゃないかんとおもうんですが、「先生(グルとか神様とか教祖とかなんでもいいけど)に引き上げてもらい続けなければ、いい状態になれないのか?」という問いを意識するようになりました。

現象世界で起きることは、すべてさまざまな面があるから、YES と NO のどちらかで答えられるような問いではないと思います。
違う見方をしたら、先生とかグルとか指導してくださる人々は自分自身が外に現れたものという言うこともできると思います。
でも、私の問いは、でも、そうゆう大きなレベルではなくて、もっと日常的な感覚として、
初めてのリトリートの後に味わった静かな幸せ感・健全なポジティブ感がある状態を、
リトリートとかじゃなくて、自分の実践である程度持続して味わえるようになりたいなってことだったんです。

それがね。今、起きている感じです。
もちろん、『セドナに行く』という日常ではないことをしたからって思うかもしれませんが、私的にはこれダイブ日常なんですよね、バーニング・ボウルをしたからかもしれません、確かにそれも一つだと思います。
でも、私にとっては、たとえば、瞑想会で6時間とか2日間とか瞑想するとかは、あんまり日常に近くない感じなんだけど、セドナも、バーニング・ボウルもかなり日常に非常に近い感じなのです。
バーニング・ボウルだと、やりかたさえわかって、本気でやれば、自分だけでさっとできることだしね。

もちろん、自分の力だけでやった、とということではまったくありません。
さまざまな高次のエネルギー、周りの人たちの思いやり、直接・間接に私を導いてくれているさまざまな人たち、そうしたものすべてのおかげなんだと思います。
ただ、日常の中で、理由のない平和の持続感を体験している感覚がありがたいのです。

そして、もう一つ言えば、5年ほど参加していた瞑想のリトリートですが、理由のない幸福感がいちばん長く続いたのは、実は初回でした。
あとは、理由のない幸福感という感覚を体験することはあんまりなくなって、
私の場合、リトリートによる波動の上昇はすぐに仕事の結果としてあらわれるということが多かったです。それが、むちゃくちゃ必要だったから、すっごくありがたかったです。

瞑想リトリートに参加するようになってから、人生が大幅という言葉ではたりないぐらい大幅に底上げされた私でしたが、ずっと、あのときの静かな幸せ感を懐かしく思っていました。

そうゆう瞬間はときどきあるのですが、持続する感じがしなかったんですよね。
私、仕事でヒーリングしているときはそうゆう状態になっているのですが、ヒーリングに入った瞬間にスイッチが入るっているか、なんかいつもとちょっと違う人みたいになっちゃって、
いつもの私はヒーリングしている平和な私を横目でみている感じで、自分の中に分離があるの。
仕事でないときの私だと、その平和感事体が希薄だし。

でも今回、とうとう、仕事でないいつもの私にもその平和感が戻ってきた感じです。

そして、その平和感は、実際には希薄になっていたわけではなくて、
何度もリトリートに参加しているうちにだんだんと当たり前になっていたんだということにも気づきました。

3ヶ月ごとに超おいしいものばっかり食べていたら、ちょっとおいしいものを日常で食べてもさほど感動がすくなくなっちゃったりしますよね。
そしてそのうち、3ヶ月ごとの超おいしいものの感動も薄れるっていうか、そんな感じ。

でも、実際には、同じように超おいしかったんです。

それに気が付きました。

【何も理由がないけど、静かに幸せ。】
これをみなさんと分かち合いたくて、わたし、ハーモニック・メディテーションをやっているのです。
というわけで、しばらく日本におりますので、みなさん、またまたよろしくね。

しばらく????