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仕事に情熱をもてなくなったとき(とか)に

ちょっと前に、クリスタル・ガーデンだけでやっている『神聖幾何学スターホィール・ボルテックスカード リーディング&ヒーリング』(長いねぇ、名前)セッションにで、こんなお悩みを持つ方がいらっしゃいました。
「とっても好きでやっていたセールスの仕事なんだけど、最近やる気がでない。その商品が好きではじめた、この仕事。好きだったはずなのに、うまくお勧めすることにも、躊躇があるし、自分には本当は合ってないのかも?なんかストレスです....」

で、カードを引いてもらって、お話しつつ、ヒーリングしていくと、こんな言葉が出てきました。
「ええと、自分の扱っている商品に手紙を書いてください。
こんなところが好きだとか、愛しているとか、
あなたはこんなに素晴らしいとか、こんな風に感謝している、とか、もしかたら、ごめんなさいとかもあるかもしれません。
あなたがその商品に対してどう感じているか、思いのたけを情熱的に(あ、これは、勢いあまって、今、付け足したかな?)語ってください」

へーっ、なんかよさげと思って、私も家に帰ってきてから、自分でやってみました。

ハーモニック・メディテーションさん宛て、
リコネクティブ・ヒーリング/リコネクションさん宛て、
セミナーさん宛て、
etc...

これやってみて、改悛 & 感謝でした。

改悛っていうのは、自分がどこかしら自分が提供している内容をツールみたいに、
自分の使う”もの”みたいに扱っているところがあったなって思ったの。
いや、確かに本質を感じるための世界にいろいろあるツールのうちの一つだっていうのは正解なんだけど、ツールであっても使っていくうちに命がやどるっていうかさ、そうゆうのってあるじゃない。
料理人の包丁とかさ、美容師のはさみとかさ(なんで刃物ばっかりなんだ?)、
大工のとんかち (なんか、危険なもんばっかりだな)、絵描きの筆とパレット(あ、だいぶ安全)とかって、その人の『大きな自己』の、ある意味延長線上にあるものみたいになってくるんじゃないかなって思うの。
その感覚よりも、もっと、切り離してみていたり、逆に、自分のものだからって自分の好きにできるんだ、みたいにちょっとぞんざいに扱うみたいなところが私にはあったような気がします。

でも、お手紙を書いていたら、感動の薄いタイプのあたしでさえ、なんかジーンとしてきちゃった。

ちょっと恥ずかしい、いや、すごい恥ずかしいけれど、ちょっとだけ公開。

ハーモニック・メディテーションへ

ありがとう
Onennessの中の個別性の中で表現される大切なギフト。
私のものではないけれど、まぎれもなく私を通して愛の表現。

私のところにやってきてっくれてありがとう。
なぜ、きてくれたかはわからないけれど、
誰かにゆだねることが苦手な私が、意識的にゆだねる状態にはいり、
私が私の意識を使ったまま、人とともにありがなら、私たちをサポートしてくれる
目に見えないエネルギーたちを実感できる時間を与えてくれてありがとう。

恥ずかしいから、ここまで。
あたしは本当に照れ屋さんなんで、これ以上、もう無理(笑)

そんで、こんなに愛しているって、感じて、
遠隔ハモメもはじめちゃたりしました。


手紙を書いたからって、かならずしも情熱を再発見するか、わかりません。
感謝が起こるかもわかりません。
最初から、ちょっと違ってたってことになるかもしれません。
とか、大好きだけど、違う形でお付き合いをお願いしますっていう、お手紙になるかもしれません。

それは、本気で向き合ってハートが感じること。

なんだか、親密な人間関係と一緒ですね。


書き出してみると、
自分は、自分の仕事あるいは誰かにたいして、こんな風に思っていると、
頭のなかで思っているのとは、違うことが出てきたりします。
頭の中のグルグルの思考のごった煮の中でただ考えるより、
書いて表現すると、頭のぐるぐるが徐々にクリーンになりながらできるからなんじゃないかな。

わかっているからやんなくていい、っていうのは、ちょっと脇において、
試しにやってみると、いろいろ発見があるかもですよ?。

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2010年05月13日 17:19に投稿されたエントリーのページです。

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