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2008年05月 アーカイブ

2008年05月07日

まじですか?

はい、まじです。

すごいご飯で、みなさんに報告(自慢)した簡易式酵素玄米だけど、本当にうまくいったらしく、結局、一回炊いて保温しっぱなしで、17日間食べ続けました。ヤッター
結果報告です。

*思いのほか、料理に愛情がなくても、ちゃんと日持ちします。
*普通に炊く場合よりも、お水は多めにね!と指示があったので、多めにしたら、炊きたてで、すでにもちもちだった。このときはとってもおいしいけど、日がたつにつれ、味は同じだけど、食感がモチモチからただのモチに変わってしまいます。
*最後のほうになると、お釜にご飯がちょっとしか残っていないので、乾燥してしまい。感想した餅のようになっちゃった。しかも、ほんのちょっとだから、おなかいっぱいにならないので、納豆をプラスしたものの、なんせ餅なので、うまく混ざりません。ひきわり納豆にしたらよかった。
*家ごはんにすれば、食費がへるという予測のもと、一升炊きの炊飯器に投資したわけですが、ご飯がうまく炊けたからって、外食欲望は一向に収まらず、家でご飯食べなかきゃいけないし、レストランにも行かなきゃ行けないしというわけで、食事の回数が増え、つまり食費も増えただけ。ちっ。

昨日、第二段を炊飯したので、上記の反省点をクリアするように、がんばります!

というわけで、酵素玄米の日持ちのしようには、 かなり、まじで驚いたわけなのですが、
驚いたといえば、もう一つ驚いたことが……

いろんなことをぶっちゃけてきたつもりですが、今回は、これ、いっちゃおうかどうしようか、一番悩んだような気がする。

理由その1)ヒーリング・ファシリテーターとしてどうよ?とか以前に、常識ある人として
どうよ? と思われてしまいそう。

理由その2)100% 何の役にもたたない。

あー、でも、一人でこれを心に留めておくのは、あまりにも苦しい。。。。。

先月、HPのリニューアルで必死になっていた時期があって、ちょっとコンをつめておりました。
そのほかのセッション以外の雑務とか、花粉症とかで、そうとう、ばたばたしてたのよね。
そのバタバタがピークを迎え、一段落し、ほっと一息ついた土曜日の夜。

ちょっとリラックスをば、と思って、近くにあるスパに行ったのです。
東洋医学的には春はデトックスの季節ってきいたものだから、普段はやらない外側のデトックスをということで、その日は、スパの仕上げにあかすりをやってもらうことに。

あかすりの前って、体をあっためなきゃいけないのよね。なので、まずは、サウナでタップリ汗だしです。サウナで汗がでて、体重がへっても、それはただ水分が出てるだけだから、本当に脂肪が減っているわけではないとは十分知ってはいるものの、やっぱり痩せたかなと、サウナの後は体重チェック。
「え、たったの100グラム?コップ半分水飲んだら、元通りじゃん。チッ」

なんだか、納得できない気分のまま、あかすりへ。
熟練したおばちゃんのあかすりは、なかなか素晴らしいのです。
「あらまぁ、よく出ますねー」といわれ、かれこれ2年ぶりのあかすりだったことを思い出す。
「え?あの、その、しょっちゅうあかすりしたら、あんまりでなくなるんですか?」
おばちゃんは、あたしの動揺を察したのか、
「そんなことないよ。しょっちゅうやってても、ちゃんと出る!」
やさしい(涙)
そんなおばちゃんの優しさで、心も体もさっぱりして、大満足!
あかすりが終わって『念のため』体重計に乗ってみると、900グラムも減っています。

まじっ? これってどうゆうこと?

嬉しいような、まったくひどい話のような、複雑な気分ではあったのですが、
明日は、ずっと楽しみにしていた瞑想の集いがあるし、久しぶりの12時就寝です。
はー、極楽極楽。。。。。

には、行けませんでした。

なんか、ひざの裏が変だわと、目がさめて、時計をみると午前2時。
かゆいのよ。ひざの裏が。
ぼりぼりぼりぼり掻くほど、痒くなってきます。
そのうち、腰の辺りとかもかゆくなってきます。
とにかく、気持ちを落ち着けて、寝ようと思っても、どんどんかゆみは激しくなるばかり。もぞもぞおきだして、リップクリームみたいな形のムヒを見つけ出して、ぬりぬりします。
はーっと落ち着いたのもつかの間、痒い領域はどんどん広がっていきます。なので、リップクリームの大きさのものでちまちまやっても追いつきません。別のところをつぶしているうちに、さっき塗った場所がふたたび痒くなります。そんなことをしているうちに午前6時。
あきらめてお布団から出て、準備をはじめることに。

どうなってんのと思って、姿見の前に立ってみると......

ヒーッ!

体中に蕁麻疹が!

体中に蕁麻疹ぐらいでは、あまり驚きません。ずっと昔、翻訳者としてフリーになったころ、忙しさとプレッシャーで、体中に地図みたいは腫れ物ができちゃう蕁麻疹を何度か経験していたのよ。いつも、しばらくするとなおっちゃうし。当時はあるいみ慣れっこになってました。

今回は、それどころではなくって、地図ができているのは当然のこと。
いや、地図っていうより、すべてが蕁麻疹で覆われて、Sサイズの体がMサイズになってるっていうか、
肉布団を着ているような状態になっていて、しかも、蕁麻疹の島の上に、別の蕁麻疹が出ています。

あまりのおぞましさに鳥肌ものなんだけど、体が蕁麻疹の肉布団でおおわれているので、
鳥肌になりません。

あまりに驚いて、足がガクガクしちゃったわよ。

救急車を呼んだほうが…….

いや、待て。不用意に救急車なんか呼んではダメです。

日曜日だったので、まずは、インターネットで、休日診療の病院を探しました。
注射を打ってもらおうと思ったわけです。
いやー、でも、病院に行ったら、絶対に瞑想には間に合わないなー。って、それどころじゃないのに、何考えてるんだろうあたし.....

注射で思い出したけど、蕁麻疹の薬って抗ヒスタミンじゃん、つーことは、花粉症の薬と同じ。
家に残っていた花粉症の薬を服用します。
もちろん、すぐ効くわけないのだけど瞑想の集いへの欲望が再び頭をもたげます。
つーか、瞑想って執着とか欲望を手放すためにやったりするんじゃないの?
いいの、いいの。どっかの瞑想の先生が「覚醒への欲望だけが意味のある欲望」だとかって言っていたような気がするし・・・・・

でもって、薬がまわるのを待つ間、何をしたかというと、瞑想。
いやー、かゆいかゆいとあせってかいちゃったりしたら、掻く行為とストレスで蕁麻疹が悪化しちゃいそうだしさ。
瞑想に行く準備のための瞑想を20分ほど。
ほら、「心頭滅却すれば火も亦た涼し」みたいなさ。

心頭は滅却できなかったものの(そんなこと簡単に家でてきたら、瞑想会には出かけていきません!)、かゆみのほうは、薬がだいぶ滅却してくれたので、無事、瞑想の集いにたどり着けました。
Gパンをはいていったのだけど、蕁麻疹でぴちぴちになっていたので、昨日あかすりで除去した900Gは
チャラになっている模様。

瞑想意識/空の意識に入ることができる人と一緒に瞑想すると、家で一人で瞑想してみようと思っても難しく感じる人でも楽に瞑想状態に入ります。
そんなわけで、瞑想の集いでは、私も、痒いなと思いつつも、気がつくと相当な度合いで心頭滅却状態に近づいていきます。

なんだか、瞑想会に行きたい欲望を満たすための瞑想って、微妙に意味不明的ではあるけど、
いいのよ、現象はすべて消えていくんだから!


というわけで、私をこんな体にしたHPリニューアル 90% 完成。
蕁麻疹は、翌日には完治したし、HPから蕁麻疹がうつったという話しはまだきいていないので、
安心してご覧ください。

ヒーリング・ファシリテーター オカダ アユミ
リコネクション・ルーム

2008年05月11日

リコネクションのご感想/ミスティカル数秘術のご予約状況について

リコネクションを受けたお客様のご感想をアップしました。

”リコネクションは一生で一回もののセッションで、自分で気づくか気づかないかにかかわらず、
プロセスは受けたあとずっと続くというタイプのものです。”って、つね日ごろお客さんには説明しているんだけど、ずっと続くって言ったって、正直なところ、あたしには確かめようがございません。
もちろん、このセッションの概念としてはそうゆうことになっているわけだけど、
自分と自分の友人の経験というほんの少ないケースしか、はっきりとはわからないよね。

セッションを受けてから、数年後、数ヵ月後に「こんな感じで、変化しています」とか、
「とくにこれっていうことはないのですが、あれからなんだかのんびりやっています」なんていうご報告をいただくと、”リコネクションっていいよな”ってあらためて思ったりします。
日割り計算にすると、お得感が非常に高いっていうか...
いや、そうじゃなくてさ......
いろんな点で執着する要素がすっごく少ないところとか(だって、そのうちセッションしたことさえ、忘れちゃうでしょ)、勝手にその人に合わせてプロセスが進むところとか、
私もお客さんも、何のコントロールもできないセッションだという性質上、
手放してまかせるということがどんなことか体験できたりとか、
規制ではなくて、受け入れるということで前に進めるということが自然に腑に落ちたりとかさ、
それに、なにより、簡単だよね。

というわけで、セッションから半年近くたってから、ご感想をいただいたので、アップしてみました。

それから、ですね。
ミスティカル数秘術のセッションですが、5月はおかげさまで満席になりました。
ありがとうございます。

6月分のスケジュールは、5月15日頃にアップしま?す。

2008年05月26日

悩んじゃった (その1)

最近、友人のヒーラーと話していて考えさせられることがありました。

ヒーリングを提供していて、【変化】だの、【進化】だの、【成長】だのって言葉,
それから【まずは自分が成長すること】、【まずは自分が変わることですよ】ってフレーズをもしかしてあまりにも不用意に使っているかもしれないな?って思ったのよね。

友人のSさんは海外に住むヒーラーなのですが、彼女のお母さんはいわゆる病気のデパートだそうです。しかも、どれもこれも、西洋医学では完治しないことも多いやっかいなものばかり。

そのなかでも特に深刻な病気が10年前に発覚しました。
副作用で危篤状態になるようなたいへんな治療を受け、完治はしなかったのですが、
数値が安定し、薬でしのぐという10年をすごしていたそうです。
病気のため、仕事などにも満足にできる状態ではないものの、
なんとか一人で生きているという状態です。

Sさんは自身もヒーラーなので、自分がヒーリングしたり、知り合いの信頼できるヒーラーに依頼したり、考えうることはいろいろとやってきました。
ぜんそくの発作が起こらなくなったり、打撲のときの痛みがとれたりということは起きても、
いちばん大きないくつかの病気には特に変化はなかったようです。
そして、今回の悪化の知らせがきました。
Sさんのお母様は、ものすごく落ち込まれて、人生に絶望し、非常に悲観的になっていったそうです。
無理もありませんよね。

そんなときSさんは、お母さまに対する自分の反応に愕然として、私に悩み相談の電話をくれたのです。

彼女はこんなことを言っていました…..

『これまで、自分が成長するために、よりよい人生を送るために、ヒーリングや心理療法を勉強してきたし、多くのスピリチャルな先生や本に書いてあるように、自分の状況をよくするには、まずは自分が変わることという信条で生きてきたつもり。
でも、毎日、自分が変われば、まずは自分という言葉を繰り返しているうちに、
いつの間にか、気がつかないうちに、「私が変われば、お母さんも変わるかも、お母さんを救えるかも」になって、しまいには「私はこんなにがんばって変わって言っているのに、なんで、お母さんは変わらないの」って、心のどこかで苛立ちを感じていることに気がついて、愕然としたの。
しかも、「ヒーラーなのに、身内が病気だらけって、どうゆうことよ。こんな仕事意味がないかも」とまで、思ってしまったりね。
結局、人を変えようとしていいたんだよね。むちゃくちゃ反省した。』

これを聞いて唸ってしまいました。唸るというよりも、「あ、ヤバっ」っていうか.....

あれこれと、二人で話しているうちに S さんの声に笑いが戻ってきて、冷静になっていきました。
彼女は、電話でそうとう気分が落ち着いたようなのですが、
今度は私が愕然とする番でした。

あたしだって、同じことしているなー。

周りからみたらネガティブな思いにとらわれ、自虐的な選択ばかりしてしまっているように見える人にだって、その人なりのやるべきこと(いろいろまレベルでね)をやっているのかもしれないし、自分の力だけではどうしようもない事情で今の状況に陥ってしまったのかもしれません。
でも、自分にとって親密な人や大切な人から、「変われ」って言葉ではなく無意識的にしろ
せきたてられているものを感じたら、悲しいよね。
あたしだって、家族にしろ、そうでないにしろ自分の好きな人から「愛しているけど、成長してください。変わってください」とかしつこく言われたら、ショックだもんなー。
「あなたが私のそのままをとりあえず受け入れてくれたら、よっぽどそのほうが変われるかも」って内心で思ったりすると思うもん。って、いうか、思い当たることが…..

それにさ、「成長/変化」ってことだって、どんな風にプロセスが進むかなんて、ひとそれぞれだったりするわけだよね。じっとしていることが成長だってことだってあるだろうしね。
人の成長/変化を自分の物差しではかることなんて、できないし、あたしのちっぽけな認識力ではわかんないかもしれないもん。それに、本当に変わらなきゃいけないの?っていう疑問さえ起きてきたりして。

<続きますです....>

悩んじゃった (その2)

前のブログからの続きで?す

そう、とにかく、うまくいえないんだけど、成長だの進化だのって言葉を、日常でも
ヒーリングのセッションでも、安易に使いすぎていたかもしれないなって思ったのよね。

そういえば、一年ほど前だけど、ブライアン・シャイダーというDNA活性化を得意とするサイキックの友人と話していて、
ちょっと、議論みたいになっちゃったことあったなぁ?。

以前に、とあるヒーリングを習ったことがあるだけど、そのヒーリングでもDNAを活性化したり、
遺伝子のヒーリングをしたりっていうテクニックがあったのよね。
その団体では、「ある一人の遺伝子のワークをすることで、亡くなった人を含めその人の前後7代までの先祖&子孫のヒーリングが起きうる」ってことをうたっていました。
確かに、遺伝子なんだから血がつながっていれば共有する部分も多くて、さもありなんって思ったのよね。しかもさ、ほら、すべてのものはエネルギー的には、つながりがあるわけだから、何かが変わったら、それだけを変えるなんてありえないし、何か別のものにも影響を与えうるはずじゃん。
そうだとしたら、DNAや遺伝子のヒーリングをしたら、自分に近い存在に影響がおよぶのなんてわけないなと、あまり疑問ももたず受け入れておりました。

その数年後、今度はブライアンからDNA活性化の方法を教えてもらいました。
前に習ったのとはちょっと違う考え方で、私は彼から教わったDNA活性化を「オフになっている可能性をオンにし、過去にとらわれパターン化しているもので、解放してOKなものをオフにする」ワークととらえています。

去年の夏にブライアンが来日したときに、食事しながら、あれこれ話しているうちにDNA活性化の話になって、私は当然のように「やっぱりDNAが活性化したら、家族にも影響があるよね?」って言ってみたら、即座に「NO」という返事。

ちょっとびっくりしました。

楽しい食事の席だったのですが、私はムキになっちゃって、自分が以前に習った理論を並べ立てるのだけど、一貫して「NO」。

挙句の果てには、「おいちょっとまって、DNAじゃなくたって、何だってそれだけ変えるなんて無理。
あたしがこの手に持っているはしの持ち方を変えるだけだって、ハシにかかる重みや、周りの空気、このテーブルにかかる私の手の影、などなど、いろんなものが変わるじゃんよ。」
と、これで、どうだ!みたいな勢いで、言ってみたんだけど、
やっぱり「NO」

背が短いからってバカにするなよ?(別にバカにされていませんが....)あたしのほうがずっとお姉さんなんだから(怒)と、まるで子供のけんかのような気分を必死で抑えつつ、本当は納得していない子どものように「わかったよ」と言って、先生の教えに従った振りをして、あとは一人で熟考することにしました。

それから、頭のどこかで、ず?っとず?っと考え続けていました。

いろいろなことを思い巡らせましたが、
その答えがSさんとのやり取りの中にあったような気がします。

あたしの頭の中には、どうも、『自分を変えることで、周りを助けるという』美しい言葉にくるんだ、
おせっかいがあったのではないかなと思います。
その中には真実もあると思っているのですが、なんでもそうできるわけではない、
それが適切なのかさえわからないということを
家族との関係の中ではついつい忘れている自分が見えてきました。
人の人生はその人のものなのに、あたしの責任であるかのように考えてしまう部分があったのでした。

基本は相手を尊重するということで、何かをするというのはその後なんでしょうし、
そんなこと必要なかったりもするし、
そして、何もしないことが、一番の尊重になることもあるでしょうし、きっと.....

自分自身のことも含め、コントロールできないことって人生では起こりうるのに、
なんとかしてコントロールしようとしている自分の姿がありありと見えてきました。
自分のことならまだしも、自分がそれを見ているのがつらいからって、
どっかで人のこともコントロールしようとしてたんだな?。

ブライアンが言っていた『NO』はそうゆうことに対してだったのかなと、今は思います。
おかしなコントロールの仕方をしようとしているってことを、言いたかったのかなって。

だったら、そうゆう風に言ってくれればいいのに?。

つーか、私、やっぱり、自分の中にコントロールしたいっていう気持ちが強くあったから、あんなにムキになっちゃって、冷静にどうゆう意味かをブライアンに聞いてみる気にもなれなかったんだろうな?。

今度は、7月にセドナに行ってこようと思っています。
そんときには、DNA活性化のバージョンアップ版を教えてもらう予定なので、
そのときにまた確認してみよ?っと。

ヒーリングっていうこと自体、コントロールしていこうとする行為みたいに感じる人もいるかもしれないし、
そうではないと思いつつも、どっかでそうした気持ちになっていたりすることもありけど、
やってみるとさ、本当にこれ、なんにもコントロールできないんだよね。

今年から本格的にはじめたオリジナルのヒーリングでも、一応、「こんな感じのことします」ってHPに説明を書いてみたんだけど、
実際ははじめてみないとヒーリングの内容自体どんな風に展開するかわからないし、
セッション後に、どんな風になっていくかもわからないのです。
もちろん、テーマをカバーするように始めるのだけど、思ってもみないことが出てきたりなんかしちゃったりもするし、途中で、テーマがあんまり問題じゃないような気がしたりってこともあるし.....

オリジナル・ヒーリングの問い合わせのメールやお電話をいただいても、またまた、「あー、それは、わかりません」とか「こんな感じで進めることが多いのですが、やってみなければ、なんともいえません。その後どうなるかは、やってみてもわからないのですが....」って言うしかなくって、なんか、頼りない人になってしまい、問い合わせの電話が来るたびにビクビクしています(←これはうそ)。
ビクビクはしていないんだけど、なんか、もっといい言い方ないのかな?と、これまた、
悩んじゃってます。

<あれ、まだ続くの?はい>

2008年05月28日

悩んじゃった (その3)

<前の続きだよー>

そんなこんなで、自分がしているコントロールについて思いをめぐらしていたのだけど、
あんまり自分自身がヒーリングを受け取る側に立ったときに肉体的にはめざましいプロセスを実感することがないのって、一部はコントロールのせいもあるのかなって気がしてきました。
もちろん、ヒーリングって、どんなことが起きなきゃいけないとかないし、いろんなレベルで考えると人間には非常に複雑な面があるから、何がどうなるって『神のみぞ知る』ものだと思うんです。

でも、なんか、私の場合、全部自分でコントロールしたいっていう気持ちが、微妙なさまたげになっているような気がしないでもありません。あくまで私の個人的なことなので、他の人のことはわかりませ?ん。

実は、私、小さいころからなんの理由もなく両肩がちょっと変わった状態になっているのです。随意性脱臼っていうやつで、痛くはないのですが、ちょっと力を加えただけ、あるいは『リラックス』すると肩の関節がずれちゃうの。痛くなきゃいいじゃないと思う人もいるかもしれないけど、関節がずれればずれるほど、悪化して、腕が上がらなくなっちゃったりするのよね。ストレッチとかヨガとかも自由にできないし、寝がえりとかでもずれちゃうから、結構不便。いつも、力で肩を支えなきゃいけないので、疲れるのです。

ヒーリングに興味を持ち出したのは、たまたまだったので、肩を治すためなんてことは考えたことなかったけど、職業柄、いろいろとあっと驚くインスタント・ヒーリング(車椅子で来た人が、あるいて帰るみたいなやつ)で知られるようなヒーラーさんともお会いしたり、そうした情報が入ることもあります。目の前で見たこともあるしね。リコネだってそうだよね。そんなわけで、そうした方々にヒーリングしてもう機会も何度かあったのですが、うんとも寸とも言わないのよね。
より自分の可能性が発揮される人生にどんどんなっていくという実感はものすごくあるし、マインドや感情、生活環境はもの変わるのだけど、体の症状はうんとも寸ともいわないの。
昔よりはそうとう疲れづらくなったりはしているけど、花粉症と肩はまったくNG。

『神のみぞ知る』っていったって、やっぱり、自分のことだもの、どうなってんのって思うよね。
「自分のことは自分でやりたい」っていう気持ちが強いのかも、って気がしてきました。
「誰かに癒されるなんて、ごめんです。その誰かが私なら別ですが….」みたいなさ。
人のヒーリングのお手伝いをするのはまったくOKなのですが、自分のは自分でやりたいって思っているフシがあるなぁ?。
人からヒーリングを受けて、何かが変わっていくのは、自分が自分に対して持っているコントロールを失うような気がしちゃうのよ。

そうと気がつくと、自分に他の人からのものを簡単には受け入れないってこと相当やってるなーって感じがします。
だから素直じゃないって言われるのね。
素直な人は素敵だなって、つねづね思っているので、なんか、そんな自分がちょっと損しているいるような気がします。

と、つらつら自分を観察中のときに、ちょうど、私が”執着している”瞑想のワークショップがありました。ちょうどいい機会なので、自分がどんなふうに自分をコントロールしているかじっくり3日間観察することにしました。

観察っつっても、どうやってコントロールしているかもわからないし、とりあえず、コントロールしてなさそうな状態になるために、体中をリラックスさせて先生のお話を聞いてみることにしました。
すると、いかに普段、自分が体に力を入れていたかがわかります。
別に椅子に座って、人の話を聞いているだけだから、力なんて入れる必要もないのに、
まるで、情報にしろ、思考にしろ、エネルギーにしろ、自分が受け入れたくないものは、筋肉に力を入れると細胞がブロックしてくれるみたいな感覚で体を緊張させているって感じだったのね。
そうやって、普段も、人からのいろいろな情報や思いやりをブロックしようとしているのかもしれないな?。
おー、怖って思いつつ、そんじゃ、今回は、とりあえず、細胞に抵抗させずに話しを聞くことに専念しようと思ってやってみました。

そうやって、一日半ほどすごしたときに、みなさんの前でシェアをする時間がありました。
自分がやっていた実験とはまったく無関係のことをシェアしたのですが、突然先生が、

「あゆみさん、今回は、雰囲気がずいぶん柔らかい感じがしますね。」と。
「はぁ、ありがとうございます。」
「あなたは、これまでずっと、タフな感じで、なんていうか、ほとんど怖いぐらいでした。」

えっ?怖い?
瞑想の先生は、50代のりっぱな男子なのですけどね。私、こわかったっすか?と、ちょっと微妙な気持ちに。

「あゆみさんは、007のジョーズって知ってますか?あんな感じです」
「はぁ」

他の参加者にあとで聞いてみたら、みんな、映画「ジョーズ」の鮫ちゃんのことを言っているのかと思ったらしいけど、違います。
007のジョーズと比べたら、鮫のジョーズなんか「めだか」みたいなものだもん。
あたしははっきり覚えいます。
007に出てくるジョーズってさ、金歯でがぶがぶいろんなものを噛み砕く、2メートルを超える大男。
容姿もすっげー恐ろしいし、テレビで007を見た小学生のあたしは、夜、トイレに行くのが怖かったわよ。
しかもさ、007の悪役ってインテリってイメージがあるけど、ジョーズだけは別。アホです。

これです。

「先生。今、私の心にトラウマができたみたいです。えーん(泣くではなく笑)」(みんなも笑う)
「大丈夫です。今は、エンジェルです」。(なんか、とってつけたようなフォーロー。でも、ジョーズの強烈なイメージは払拭できません。先生!)

そんなに怖かったのかとショックではあったものの、よく考えると、さすが先生、するどいなー。
私のこの歯並びのよい前歯6本が全部差し歯で、
裏返せばぜーんぶ金属にだから、ジョーズにそっくりだってことは絶対に知らないはずだし、
ずいぶん昔だけど、よっぱらって、とある人に噛み付いて非常に嫌われたことがあったな
(あ、いいわけですけど、犬のあまがみのようなものです)。
それも知らないはずなのに。先生、凄い(パチ、パチ)

ああ、でも、そんな怖いジョーズ・ヒーラーのところにきてくれたお客さんの勇気と忍耐に感謝です。
それこそショックだよね。癒されにきたら、怖かったって。
ごめんね?。ちょっとづつジョーズ性を緩めるから、暖かく見守ってください。

今は、ジョーズからとりあえずこんな感じに。

Mesmall.jpg
お友達のイラストレーターいなざわ友恵さんが描いてくれたあたしのキャラだす。

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