山一證券廃業
こないだ新聞を読んでいたら、山一證券が廃業して10年になるっていう記事が目に入りました。
ああ、もうそんなになるんだ....長いような短いような....と、妙に感慨深くなっちゃっているわたし。
証券業界で必死に積み上げたこの私のキャリアが、目の前でガラガラと崩れ落ちていったあの日.....
というわけではないのですが、廃業のニュースが心に残っているのにはちょっとしたわけがあるのです。
超簡単に言っちゃうと、この廃業のために、私の記念すべき?TV出演が阻まれたの。
当時、私は、自己成長のために心理療法やハワイのカフナの教えをお勉強しておりました。
心理療法に足を突っ込んでから、6年ほどだったかな....
10年前なので、もちろん江原さんも今のように活躍していないし、
オ○ムの事件がまだ記憶に新しいような頃だから、
自分探し君たちは、風当たりが微妙にきつい、あまり日の目をみないご時勢でした。
そんなときでも、やっぱり真摯に悩める人たちのサポートをしている団体や、
自己成長を求める人たちをサポートするためにユニークな活動をしている方たちは当然ますよね。
そうした自分探し君と、自分探し君をサポートする活動を、あるテレビ番組が取り上げるというのです。
タイトルとか、忘れちゃったけど。トリゴエシュンタローが出てくる報道系の番組でした。
その中の特集のひとつとして、私が学んでいた心理療法の研究所が取り上げられることになり、
岡田歩さん(わたしよ)を中心に取材が進められることになったのです。
なんで、わたくしめに白羽の矢があたったかっていうと、おそらくこんな理由だと思う。
*高学歴なのに就職もしないで、派遣社員をやりつつ、何年も自分探しをしている。
*20台も後半。同級生は、バリバリ働いているのに、
悠長にわけのわからないハワイの教えなんていうものをあてにしている。
っつう感じで、自分探しに彷徨うモラトリアム20代っていうイメージにピッタリだったんじゃないかなー。
そのころの私は、どうゆう時期だったかっていうと、
適当に親の知り合いの紹介で就職したものの、やっぱり英語に関係ある仕事がしたいと思い、
英語が得意なわけでもなんでもないし、たいした考えもないうくせに、会社をやめて派遣社員になり、
英文の入力とか翻訳チェックの仕事をぼんやりとやりながら日々生きているぱっとしない人生ってところかしら。
で、白羽の矢がばっちりあたっちゃって、取材開始です。
番組のディレクターの方が、実際にグループセラピーに参加しつつ取材が行われました。
さっき自分が登っきたばかりの山の名前も覚えられない私がきちんと覚えているわけはないのですが、
ある意味きつい取材だったのは覚えております。
取材する方は、私みたいな自分探し君には批判的で、
人生を無駄にしているというような意見をお持ちなんですよね。
私も生意気で、世間知らず礼儀しらずのバカボンだったので、ムキになって反論するのです。
でも、やっぱり、自分が誰かについても確信なんてもっていないし、社会にもほぼ貢献度0だし、
人には心配ばかりかけているわけなので、反論っつっても、説得力がまるでなしなのよね。
でも、そうした、自分の説得力のなさにも気がつかないバカボンは、
セラピーの可能性をを心から信じて、必死ムキになるのです。キーッッッ。
でも、バカボンだったからこそ、今の道が開けてきたのだから、
人生何がどうなるか本当にわからないってことでもあると思うけど。。。。
取材の後半は、「じゃあ、岡田さん、駅から研究所に向かうようすを撮影します」とかいって、
日曜日の夜に駅から研究所に向かうたそがれた姿が撮影されました。
なんか、私の意図とは反して、寂しい図になっちゃっていると思うだけど。。。。。
最後は、私がセラピーを通して、どんなゆうになっていきたいかについて、インタビューです。
何を言ってたのかあんまり覚えていなくて、これ幸い。
覚えていたら、恥ずかしくて悶絶。
でも、たぶん、「セラピーをとおして、自分を知り、自己実現したい。
今は、翻訳の仕事に就くことを目指しています!!!」っていうようなことを言ったんだと思う。
そう言ったときには、英語とまったく関係のない派遣仕事をしていたし、
翻訳の勉強もほぼしたことないし、そうした仕事のあてなんてまったくありません。
普通翻訳の仕事で食べていくには、もともとはエンジニアだとか、
どっかの学校で長いこと勉強して先生につくとか、そういった経路で仕事に入っていくのですが、
私はエンジニアでもなければ、学校に行く余裕もありません。
未経験者が突然翻訳の仕事にありつくなんて、ほぼありえないことなのよ。
でも、
家族が大病になったり、生活もままならない状況に陥ったりして、
自分もこのままじゃ、おんなじになっちゃうと心からゾーっとし、
「とにかく、私は絶対に、同じ道をたどらない。
方法はわからないけど、翻訳の仕事をする」って決めたのはこの取材の直前でした。
とにかく、方法はぜんぜんわからないけど、一年以内に翻訳の仕事をするとただ決めたのです。
やったことは決めただけ。
私が心理療法のワークに参加するところ、
ハワイのフラの原型のようなムーブメントを使った修行に励むところ、
たそがれの後ろ姿、バカボンインタビューなどなどが、放送されるはずだったのですが、
放送日の直前に山一證券が廃業に追い込まれちゃったものだから、
私の登場は十数分程度が一瞬に変わって、当然インタビューもなんもなし。
ムーブメントにシーンでちらっと写っただけで終わったのでした。
同じコーナーで違う団体のブレス・ワーク(呼吸方を使って変性意識に入るセラピー)が取材されていて、
結構長い時間放映されていまいた。
ブレスワークで取材されていた方も自分探し君だったのでした。
明らかにワーク後の表情は、ワーク前より生き生きしていて、エネルギーも変わっているのですが、
キャスターの方には、相当にコテンパンなコメントを授かっていらっしゃいました。
ヒエーっ。
いやー、ほんと、ちらっとしか写んなくってよかったよ?。
オンエアーを見て、ほっと胸をなでおろすわたし。
そんなわけで、山一證券の廃業のことは心に残っているのよね。
あ、ちなみに、その後、一年以内に翻訳の仕事に就きましたよ。
なんか、わけのわからないミラクルがおきて、
たまたまインターネットで、未経験者可の派遣翻訳者を募集している
あやしい人材派遣会社を見つけたのです。
その会社は、もともとはエンジニアの派遣をやっていて、
翻訳者としてお仕事を斡旋したのは、後にも先にも私一人でした。
そして、中途未経験者を翻訳者として育ててくれるというスーパー稀有な会社を
ご紹介いただいたのです。
そして、たぶん、その会社が未経験者の中途採用を後にも先にも私一人だったのよねー。
ありがたや?。
山一證券廃業10年で、廃業つながりというわけではないのですが、
私のことでも、この11月末はこれまでやっていたことを変えていく時期となりました。
11月29日にリコネクションのTA/メンターを退任し、個人セッションに専念することにいたしました。
いろいろ考えた結果、新しい一歩を踏み出すことになったのですが、
この経緯については、
セドナでのお休み期間中にブログで皆様にお伝えしていきたいと思っております。
よりいっそう精進し、ひき続きヒーリングの個人セッションを提供していきますので、
今後ともどうぞよろしくお願いいたします。