超えられない壁
あたしの越えられないえられない壁。
その一つは、朝6時代起床でした。(もう一つは、短いブログを書くこと。ごめんなさいm(_ _)m。)
在宅翻訳者時代、家で仕事していると言うと、なぜか、多くの人に、
朝遅く、おそらく昼頃起きて、夜に仕事しているんだと思われておりました。
在宅というと夜に仕事しているっていうイメージがあるらしいですね。
それとも、昔はパンクなかっこをしていたので、いかにも昼すぎにベッドから這い出してきそうな
雰囲気をしていたのかも。
でも、まったくそんなことなくて、朝は7時とか8時に起きて、普通に昼に仕事していたんですけど。。。
そうなんだけど、どうしても、6時に起きる習慣を身に着けることは無理でした。
不動産カルマのせいで、2ヶ月の間5時起きをしなければならなかったけれど、
生活がかかっていて、しかも期限付きだったからできたわけで、
純粋な意思のみでは、むむむ無理。
そんな6時の壁も、テレビを捨てたらあっさり超えられたのですが、
この心境の変化には、ここ2ヶ月間ずーっと考えていたことが関係があるのかも。
ヒーリング/リーディングを長いことしている友人(癒されたいヒーラーじゃないよ)と、
4月のはじめにこんな会話をしました。
友人「あゆみさんは、ヒーリングの仕事をしているから、人のお手伝いをしているわけよね。
それに、今、リコネクティブヒーリングに興味を持つ人は多いでしょ?
ということはあなたはとてもたくさんの人の手助けをしていると思うけど、
あなた自身はこれで、何を得たいと思っているの?」
私は「自由」とか「平和」とか、答えてみました。
すると、「それは、別に人の手助けをしなくても、今すぐに得られるでしょ」と言われます。
で、今度は、「悟りの意識を実感し、理解を深めること」と言ったら、
「もっと大きなものであゆみさんがほしいものは」って尋ねられます。
「ちょっと待て。悟りの意識ってさぁ、すべては一つとか、空だとかってことでしょ。
空なんだから、それより大きなものとかってないよ」って食って掛かってみました。
すると「あるとしたら?」とあっさり切り返されて、こんどはあたま真っ白けです。
私自身、子供のころから『ああいえば、こういう』生意気な子で、よく怒られました。
反対に人からあっさり切り返されるのまったく慣れておりません。なので、頭まっちろ。
「今、答えはださなくていいけど、考えてみたら」と。
で、さらに、
「あゆみさん、あなたは自分だけのために自分に何を与えているの?」って聞かれました。
「ええっと、ヒーリングしたら、ちゃんとお金をもらってるし、
好きなことを仕事にしてるし、ときには海外にもいくし。結構好き勝手なことしてますよ。
疲れたら、極上マッサージとかするしさー。」
「それは、もしかして勉強のためって思っていない?純粋に自分のためだけってことはある?」
そのときには、なんだか禅問答みたいな感じで
なんだか、どんどんわからなくなってきます。
どうも、わたしはわたしなりに自分に与えるつもりでいたのですが
その人にはそうでもないように感じられるらしいのです。
で、わたしは何がほしいだろう、自分だけのために与えていないってどうゆうことだろう?
何が足らんのだ????
実は、ここ2ヶ月ぐらい、ずーっとこれが気になってました。
いやー、本当にわからないのよ。
好きな仕事をしているし、ありがたいことに、
食べたいものも食べられるし、買いたい本も買えるし、
前に比べたら、体もずいぶん丈夫だし。。。。。。
何をどうかんがえたらいいのよ?。。。。。
それが6月はじめの福岡出張中に、突然はたと気がついたのです。
あ?っ。
福岡のセッションの開場に入って、うーん、予想していたよりも開場がしょぼいなー、
なんて思っていたときでした。
「はい、すみません。わたしは自分を大切にしてませんでした。」
聖書で、「己を愛するがごとく、汝の隣人を愛せよ」って言葉があったよね。
たとえば、わたしは、セッションルームを探すときにも、
自分のお金が許す限り、静かな環境を、とか、出張のときにも
できる限り気分のいい感じでセッションを受けてもらえるように、
場所さがしには注意を払っています。
工事が始まったら、(当然ですが)経費がかさんでも、なんとか少しでもいいところを探します。
自分の性格としては、ホスピタリティーマインドはまったくだめだめなほうだとは自覚してますが、
それでも、自分なりに(つまり人よりはだめてきでも) できるかぎりのことはしようと思ってます。
当たり前のことだと思うけど、ベストのものを仕事では提供しようとするでしょ。
でも、自分自身には、これをやってないのよ。まるっきり。めんどくさがりですから。
普通、この聖書の言葉は、逆の意味を理解するために引用されるものだと思うのだけど、
今回は私は反対のことに気がついたのです。
できる限り心地よい環境に自分をおくとか、できる限りおいしい、健康な食べ物を自分に与えるとか....
そうしたことは、ほとんど適当。中途半端。
たとえば、お客さんがきたら、ちょっと落ち着く時間をと思って必ずお茶をだしたりするわけですが、
自分自身のために時間をとってお茶を入れる時間を持つなんてことないんだもの。
わたしが今、自分自身に与えているようなものは、
とてもじゃないけどお客さまにはお出しできません。
これを読んでいるみなさんは、「なにを当たり前のことを書いているんだ」と思う方もいらっしゃるかもしれませんが、わたし自身はこれに気がついてかなりショックでした。
昔に比べれば、相当・超・猛烈に自分を大切にするようになったのよ。
十数年前は、自分のこと大嫌いだったし、体もへろへろで、
会社に到着することが、一日の一番の大仕事だったぐらい。
しょっちゅう風邪ひくし、気持ちはアップダウンが激しいし、
お金はないし。。。。
、
昔よりはいいといっても、いつまでも昔の自分を基準にしてても、滞るに決まってるわよね!
リコネクションを仕事にして、『自分を新しい可能性に開くお手伝い』なんていいながら、
昔の自分と比較して、滞っていたのだから、あまいな?。
そう気がついたら、もっと元気溌剌になれる、ものすごい余地が自分にあるかもしれないって、
すっごくやる気になっちゃった!!!
そうした視点で自分の体を見つめてみたら、本当に自分の体を無視していたのがわかります。
あたしは、持病っていうとおおげさなんだけど、両方の肩が子供の頃からちょっと変なのです。
ちょっとしたことで、両方の肩の関節が半分脱臼しちゃうのねー。
体の弱さをそのせいにしていたところっておおいにあるのだけど、
改善の余地もおおいにあるのもまったく無視していたのよね。
そりゃ、ときどきは、ロルフィングしたりマッサージしたりケアしているけど、
完全に対処療法的にやっていて、今、冷静に振り返ると生活から変えていくつもりなんて毛頭なかったものねー。
で、なぜか、急に、骨盤を正しくしたいとと思い立ったの。
瞑想していると、よく骨盤がぎゅーっト左右に動いたりするっていうのもあるし、
なんか骨盤を調整するのがとてお重要な気がしたの。
ある朝、そんなことを思いつつ、骨盤を調整できるセッションをしている友人のことを考えていました。
セッションをお願いしてみよっかなー。どおしよっかなー...
そのすぐ後に、PCを起動したら、その本人からブログにコメントが入ってました。
ずーっと前にも、コメントしてくれたことがあるのだけど、ひさびさだったし。
びっくり仰天。
これは、やるしかないでしょと思って早速予約の電話を入れました。
ああそうだ、間違って5時半に起きて走り出しちゃったのは、そういやー、セッションの翌日だったかも。
やっぱり、わたし、腰がへもへもなので、おしりに力を入れて立ったり歩いたりするようにとの
生活指導も受けました。
「そんなことしたら、便秘になりそうです」って、またも切り返してしまったわけですが、
あっさり「なりません」と言われたことですし、
気がついたときにはちゃんと実践しおりますです。
<とまあ、「突然はたと気づきが起こった」、と思っていたのですが、
そうでもないのだということが後々判明。それについてはまた書きまーす>