あわや断筆宣言
気がついたら最後にブログを書いてから早一ヶ月。
書かなければ書かないほど、どんどん筆が遠のくものなのね...
最後のほうでは、自分のHPの更新時にブログっていうメニューを見るのも
つらくなり、もう再起不能かと (おおげさ)。。。。
そして、今、復活の喜びに涙しております (もっとおおげさ)。。。。
1月のロスでの研修が終わってほっとしていたものの、
そのときにわたくしめを待っていたのは、
「お疲れ様、よくやったね」と言ってくれる素敵なデート相手とかではなくて、
たまりにたまった事務仕事&確定申告書&その他もろもろのでした。
ところが、1月の研修で微妙に燃え尽きたらしく、まったくやる気がおきません。
この一月間、セッションでお客様と共にすごす時間だけが、集中できる時間であり、
心の休まる時間でした。
ちょどセッションルーム探しに奔走していたときみたいな感じです。残りの時間は、あー、あれやらなきゃ。あれに対処しなきゃ。メール書かなきゃ。電話しなきゃと、
「しなければならない、でも休みたい地獄」におちいっちゃったのよね。
その昔、ハワイのカフナのもとで
プチ修行していたときに、「止まるな、止まったら、5歩下がると思え」って教わったものだから、
なるたけ、止まるよりは一歩進むように心がけてきました。
水前寺清子さんのように三歩進んで 二歩さがった場合、カフナ式に考えると、
7歩も下がっちゃうんだもん。いや、止まるだけで5歩下がるんだから、もっとさがるのか。。。
とにかく、なんかもうほとんど止まりそうでした。
ひえー、7歩さがっちゃうよー。
そこで私、どうしたものかと、ちょびっと頭を使ってみたのですが。
とあるエニアグラム本にこのようなことが書いてありました。
「パーソナリティーというのは真実の自己ではありません。
すべての思考、思考が作りだす物語、感情、そして、身体感覚は本当のあなたではありません。
そうしたものはすべて、常に変化していますが、真実のあなたは消えてなくなったり、
変化するものではありません。すべての認識と体験が生じる土台となっている意識こそが
本当のあなたです。」
それを思い出したのです。
今私が持っているパーソナリティーの自分ということで考えたら、
事務仕事なんてさっぽりやる気しないし、
もう一週間ぐらい休んで、家の中でいも虫さんになりたいと思うところです。
思い余ってお正月に大量の年賀状を川に捨てちゃうアルバイト配達員の気持ちっていうか...
でも、そう思う思考も感情も真実でないならば、
役に立ちそうな非真実の思考・感情を持ったって、
どっちにしろ真実じゃないんだからいいじゃーん。
と思ったのです。
楽しくないのに楽しいフリをするのは自分にうそをつくことだっていう考えもあると思うのだけど、
もっと奥深いところでみたら、
楽しいとか楽しくないっていうのも永遠なものじゃなくて、
最終的な真実の自己じゃないのだから、まあ、ましな感情を選ぼうみたいなことかしら...
とはいえ、すぐに楽しくなるわけじゃないので、
とっかかりとしてとりあえずぶつぶつつぶやいてみることに。
うぁー、事務仕事たのしいなー。経理は世界一素敵な作業だ!
新幹線に乗るのはわくわくするー」とぶつくさ言い出してみたのです。
やってみてから気がついたのだけど、これがいわゆるアファメーションってやつなのかしら。
アファメーションっていうと、
「私は愛される価値があります。私は素晴らしいソウルメイトと出会う価値があります。」なんてことを
鏡にむかって毎晩言うみたいなイメージがあって、
素敵なテクニックなのでしょうが、自分がやるとなるとなんかこっぱずかしくって、
そうとうやる気のしないものだったのですが、
もう、恥ずかしいとかいっている場合じゃなかったのよ。
でも、アファメーションというよりは、テレビをみて独り言をつぶやくように、
「いやー、事務仕事楽しい」とぶつぶつ言ってみました。
すると、あ?ら不思議。
さくさく経理の入力が進んで、新幹線に乗るのも楽しいじゃないの。
大成功。
でも、これって、微妙に難しいテクニックでもあるかも。
「すべての思考、思考が作りだす物語、感情、身体感覚が真実の自分ではない」って、
ところをわかってないと、いやな思考・感情にふたをするだけの
「くさいものにはふた」戦法になっちゃって、
あとあと、とんでもない汚臭が発生する事態になっちゃうものね。
今回の大成功が、「くさいものにはふた」戦法でないかどうかはわからないけど、
くさくなってきたら、わかるので、もうちょっとお待ちを...
くさかったらどうぞ注意してくださいね。