16日はわたくしめのお誕生日だったので、
セッションルームのお披露目を兼ねて、
何人かの友人が集まってくれました。
友人たちに口をそろえて岡田(私)は変わったと言われました。
一年ちょっとのお付き合いの人には、
「歩さん、一年前となんかぜんぜん違う」と言われ、
10年以上の付き合いで、お互いの心の裏の裏まで見せ合った友人には、
「オカダは、前と変わらないけど、でもなんか違う」と、
「だからどっちなんだよ」とつっこみを入れたくなることを言われました。
自分では、ぜんぜんわかりません。
セッションにいらっしゃったお客様から、
リコネクティブ・ヒーリングや
リコネクションでどんな風に変化するのかと
質問されることがあります。
私はいつもこんな風に説明しています。
「変化や進化というのは、自分が理解できる形では
やってこないかもしれません。
そうゆうときには、自分が望んでいる変化ではないことが
静かに進行しているのかもしれません。
また、あまりに変化や進化を意識しすぎると、
かえってわかりずらいとうこともあります。
たとえば、毎日自分の顔を鏡でみていると、
その変化には気づきにくいものですが、
一年ぶりにあった友人の顔をみて、
『この人、すこし見ない間に老けたな』といったことを
思うことがあると思います。
同じように、『変化、変化』と意識しすぎると、
かえって気がつかないこともあると思います。
あまり気にしすぎると、執着心が起こり、
自分で思ってもいない形での
変化を受け入れがたくなることもあるかもしれませんよ。」
と偉そうに言っている私もぜんぜんわかってなかったみたい (笑)。
別に、変化したいとか、進化したいとか、意識していないし、
それほど執着もないほうだと思うのですが、
それでも、やっぱり気がつかずに変わってるってことがあるんですね?。
あらためて、自分なりに何が変わったかなと振り返ってみました。
一番は、どうでもいいことが増えたことです。
たぶん、私の今の口癖は「どうでもいい」です。
なげやりな感じではなくて、
迷っちゃたらどっちを選択してもOKな感じなの。
どっちを選択しても、それがそのときのベストであり、
それなりの学びや体験が待っているのだなと
本当に思えるようになってきました。
でも、「どうでもいい」感が強まれば強まるほど、
ゲッソリするような結果を受け取ることが少なくなった気がします。
あるいは、何か自分に不都合なこととか、
ちょっぴり大変なことが起こってもある程度「どうでもいい」のです。
こうやって文字にすると、
相当な度合いで投げやりな人に見えてしまいますが、
投げやりとも違うのよね。
「不都合なことや、大変なことも、そのうち過ぎ去っていくよね」というのが、私の言葉では「どうでもいい」になってしまうのです。
この「どうでもいい感」がないと、
セッション・ルーム探しのときのように苦しくなってしまいます。
中学校か高校か忘れちゃったけど、
「祇園精舎の鐘の声、諸行無常の響きあり」って習いますよね。
「この世のあらゆるものはすべて移ろい行く」ってことだって教えてもらったけど、
リコネクティブ・ヒーリング/リコネクションにかかわるようになってから、諸行無常を以前よりも実感として感じるようになってきました。
ものごとが加速するから、移ろい行くのがよくわかるのよ。
どんどん進むし、執着している暇もないような感じ。
執着が始まる前に、もう、次のことに進んじゃうから。
諸魚無常チックになったからかどうかはわからないけど、
忘れっぽくなったことも変化かもしれません。
昔とぜんぜん変わらないのは、ものすごい面倒くさがりやなこと。
ヒーリングでも治りません (笑)。
なので、口癖は「どうでもいい」と「めんどうくさい」です。
こんなヒーリング・ファシリテーター、まずいかなぁ (笑)。
あ、自分でフォローしておくけど、
リコネクティブ・ヒーリングはぜんぜん面倒くさくないわよ。
本当です!!!